「秋入学」
は大学のエゴだ。断固反対しよう。 2012.1.27
咲き誇る満開の桜の祝福を受けながら人生の新しい門出を迎える。この日本の美しい風物詩は、今では世界に誇るべき日本文化のひとつとも言える。この風物詩が消滅の危機に瀕している。 東京大学の浜田純一学長は、20日の記者会見で『学部の春入学を廃止し、海外で主流になっている「秋入学」に全面移行する』構想を発表した。4月には「秋入学」への移行を連携して進めるために京大、阪大や私学の早大、慶大など国内の11大学と協議会を設置するという。24日付読売新聞朝刊のコラム「新閣僚に聞く」によると平野文科大臣は、この東京大学の構想に対して「秋入学は大学改革の第一歩」だと評価する考えを早々と示し、野田首相、藤村官房長官も構想に賛意を示し、政府として支援することを表明した。 東大の「秋入学」構想の狙いは、入学時期を国際標準と一致させることで、日本人学生の海外留学と外国人留学生の受け入れを促進することにある(1/21付読売新聞)という。欧米を中心に主要大学は、高い研究水準を維持するために、優秀な研究者や学生の獲得にしのぎを削っている。ところが、東大の留学生受け入れ比率は、学部段階で1.9%にすぎず、海外のライバル大学に大きく立ち遅れている(1/21読売新聞社説)ということが「秋入学」構想の動機のようだ。
「それでも日本で学びたい」という"日本大好き"の留学生と、「本当は欧米の大学に留学したかったが・・、やむを得ず日本に・・」という"諦め組み"の留学生たちが、いま日本の大学に在学していると考えるのが自然だろう。日本学生支援機構(JASSO)が平成17年に行った留学生に対するアンケート調査で、日本の大学を留学先に選んだ理由のトップが「日本語と日本文化に対する興味」だったと言うのも大いに頷ける。短絡的に「秋入学」という制度変更に踏み切る前に、大学として(あるいは国や社会全体として)やらなければならないことが多々あるはずだ。自らの実力不足、努力不足を棚に上げて、うまく行かない原因を制度上の欠陥に求めるのは、大学教育の当事者として取るべき態度ではないだろう。
それにしても、日本の文化ともいうべき美しい風物詩を大学のエゴのために消滅させてしまう「秋入学」構想を「大学改革の第一歩」だなどと軽々に評価する民主党政権には呆れますね。日本を支配した歴代の政権が2000余年もの永きに渡って厳格に維持してきた世界に誇るべき「皇男子孫継承」制を葬り去って、「女系天皇」を容認しようと平気で企む民主党政権ですから、こんなことは朝飯前なのかも知れませんね。恐ろしい時代になったものです。西尾幹二先生の言葉「民主党は外国人だ」はまさに至言ですね。 前出の読売新聞のコラム「新閣僚に聞く」によると、平野大臣は「秋入学」構想の問題点について「ただ、資格試験(の受験時期)との間に時間的なギャップが生じることも考えられる。もし導入されることになれば、その点は解消しなければならない。しっかり注視し支援していきたい」と語ったようです。現行の日本社会の仕組み・制度から完全に逸脱する「秋入学」構想の最大の問題点を、日本の文科大臣が、「資格試験の実施時期との不整合」だと認識している事実には愕然としてしまいます。トンチンカン大臣は「真紀子パパ」だけではないようですね。そう言えば、鳩ポッポの金魚の糞と揶揄されたこの御仁は、日本政治史上最低と形容された鳩ポッポ政権で内閣官房長官の座にあって、すでに無能政治屋としての化けの皮が剥がれてしまっていたのでしたね。真紀子パパに文科大臣。ここでも、どじょう君は、適材適所だと強気で言い張るのでしょうか? アハ。 鳩ポッポの金魚糞
真紀子パパ 誰でも適材適所のどじょう君
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