秋の中欧4ヶ国(ドイツ・チェコ・オーストリア・ハンガリー)周遊
 
                                                                2015/10/7 〜 10/14
   



<プロローグ>
 前回のスイス旅行の帰国便(エミレーツ航空B777-300ER)で、3-4-3の座席配置の中央4席のさらに真ん中の2席に夫婦揃って10時間以上も閉じ込められた悪夢が頭の中を支配しているせいか、次の旅行を検討する気分になれない。行くんであれば超格安でビジネスクラスが使えるパック旅行にしようと色々と物色してはみたものの「超格安」が見つからないまま夏も終わりに近づいてしまう。

 せっかくパスポートを更新したのに・・とN子からも不満の声が出始めていた頃、大好きな「ルフトハンザ航空」確約で比較的リーゾナブルな価格の中欧4ヶ国周遊ツアーの新聞広告をN子が見つけた。ルフトハンザ航空であれば、機体は
2-4-2の座席配置のエアバス340か380だろうから、往復ともに通路側の2座席を確保できるはずだと安直に考えて、早速に催行確約となっていた10/7出発分をネットで予約した。

 伊丹空港から羽田に飛んで、東京地区の参加メンバーの皆さんと合流して、羽田からルフトハンザ航空機でフランクフルトに移動する。入国手続き後にベルリンへ飛んで、翌日からベルリン、マイセン、ドレスデンとバスで移動しながら観光し、さらにチェコに入って、プラハとチェスキー・クルムロフに滞在する。次にオーストリアのウイーンに二泊した後、ハンガリーに入ってブタペストを観光する8日間のパック旅行[バスでの総移動距離1,100km(p1) ]なのだが・・・
さて、今回はどんな顛末が待っているのでしょうか?

      
                   p1  バス移動のルート



<ハプニング続きで・・>
 このツアー、出発間際までハプニングの連続でした。最初の事件はホテルの変更です。このパック旅行の名称には客寄せ目的?の「6日目ヒルトンに泊まる」という形容のサブタイトルがついていたのですが、旅行会社から突然、6日目のブタペストでの宿泊先をヒルトンホテル(p2)から同じグレード(五つ星)のソフィテルホテル(p3)に変更するという通知がきました。旅行のサブタイトルが消えてしまう大変更なので、激怒して即座に申し込みをキャンセルした人(6人いたそうです)も出たようですが、私とN子にとっては変更のお陰で旅行代金が、僅かですが減額されるというので、却って得した気分でした。 
               
          p2  ヒルトン・ホテル         p3 ソフィテル・ホテル


 二つ目は、ネットの旅行案内に見つけた「チェコに滞在する外国人は海外旅行傷害保険への加入が必要」という一文です。私とN子は、一般の傷害保険と医療保険に加入しており、死亡した場合を含めて旅行中のケガに対しても入院期間に応じて幾ばくかの保険金が出るので、旅行の都度、傷害保険に加入することは今までしてこなかったのですが、旅行案内には「治療・傷害・死亡の各項目においてそれぞれ3万ユーロの保険金が支払われる・・ものが必要」という細かい要件まで書かれているので、結局、面倒くさくなって、今回かぎりの保険(p4)に加入することにしました。これは予期しない出費でした。

 三つ目はシリアなどからの難民の欧州への殺到(p5)です。9月初めになって、ブタペスト東駅に難民が溢れているとか、ドレスデンでは難民キャンプで起きた暴動に対して反イスラムのデモが起きているなど、衝撃的なテレビ映像が流れました。9月5日にドイツのメルケル首相が、「ハンガリーに足止めされていた難民の入国と亡命申請を受け入れる」という歴史的発表を行ったことから、ドイツを目指す難民の移動ルートが今回のパック旅行のルートの一部にぴったり重なってしまう事態になりました。ネット情報をチェックすると、このような状況下でもバス移動の日本人旅行者が難民集団と出くわすことはまず無いようなので一安心。結局、9月半ばにハンガリーがセルビアとの国境を閉鎖したため難民の移動ルートがクロアチアからスロバニア経由でオーストリアに入る経路に変わってしまったので全ては取り越し苦労に終わりました。
              
           p4  海外旅行保険           p5 難民移動ルート


 四つ目はオプショナルツアーの問題でした。この旅行には、ウイーンでの@「レジデンツオーケストラ鑑賞(夕食付き)」とA「パプスブルグ家ゆかりの地巡り」、ブタペストでのB「ドナウ川ナイトクルーズ」の三つのオプショナルツアーが有りました。私たちはウイーンでは、昼間は定番の"スーパーでの買い物"などで自由時間を楽しみたかったので、Aはオミットして、@(p6)とB(p7)にエントリーすることにしました。

              
         p6  オーケストラ鑑賞チケット         p7 ドナウ川クルーズの看板


 今回は旅行の申し込みをネットで行ったためか、いつもと異なり旅行会社から資料は一切送られてきていませんでしたので、オプショナルツアーの申し込みも電子メールで行いました。直ぐに旅行会社から返信メールがあり、現時点(すでに出発まで1週間を切っているのですが・・)で、オプショナルツアーの申し込みは私たち二人だけの由で、Bの「・・ナイトクルーズ」は参加者2名で成立するのでOKだが、@の「・・オーケストラ・」は催行を確約できないという内容でした。 出発の三日前に添乗員さんから挨拶を兼ねた事前電話連絡がありましたが、いまだ@、Bの両方とも私たち以外の参加申し込みはゼロの由で、どのオプショナルツアーに参加するかの最終確認は羽田空港での集合時点で行いたいとのお話がありました。

 今まで私たちが参加した団体パック旅行では、常態的にほとんどのメンバーがオプショナルツアーにエントリーしていたので、出発間際のこの時点になっても参加申し込み者がゼロというのは驚きでした。何かあるのかな?・・という疑問が湧いてきました。今回のツアーメンバーは関東の皆さんが主体になるはずなので、何事にも大雑把な関西人には気がつかない何かがあって、参加を渋っているのかも・・? そんな気がしてきました。

 ネットにあたって@のレジデンツ管弦楽団のコンサートのHPを見つけて料金などの条件をチェックしましたが、自力で行動した場合の費用と比較してオプショナルツアーの料金が法外だとは言えず、他にも合理的な理由は見つかりませんでした。

 一方、添乗員さんからの事前電話連絡で、Bの「・・ナイトクルーズ」は、私たちの宿泊するホテルがヒルトンから「ソフィテル」に変更になったお陰で(ソフィテルホテルからであれば)船着場まで歩いて行くことができるので、バス代金まで含まれたオプショナルツアーではなく自力で行動した方が「安い」とのお話があり、ネットで調べたところ確かに自力の方がかなり安上がりのようでした。しかし添乗員さんから「クルーズ船は予約をしておかないと、乗船客が多いときには乗れないこともある」とのお話もあったので、面倒でしたが出発間際にネットで予約をしました。

 事前準備が大変になりました。@の「・・コンサート・」ツアーが成立しない場合に備えて、晩飯を食べるウィーンのレストランを決めておくと同時に、ウイーンの中心街から郊外に位置するホテルまで自力で移動する方法も調べておく必要がありました。毎度のことですが、ウイーンの地下鉄や路面電車の路線図、バスの系統図、発着の頻度、乗車切符の購入方法、価格などをネットで調べ、バスの乗車ポイント、バス停の位置などもgoogleの地図やストリートビューで確認してイメージトレーニングをしました。さらにブタペストのクルーズ船の発着所までの道順はもちろん、横断歩道の位置まで確認しました。

 もう一つ、事前調査を怠ったための「想定ミス」もありました。旅行会社から送られてきた「最終旅行日程表」を確認すると、羽田−フランクフルト間の航空機は想定していたエアバスではなく、B747の改良型のB747-8でした。エコノミークラスの座席配置はもちろん3-4-3です。航空ダイヤを調べておけばよかったと後悔しても後の祭り。
さて、期待していた通路側の座席を確保できるでしょうか?



< 第1日 2015/10/7>

【 大阪(伊丹) → 東京(羽田) 】
 いよいよ出発。まずは大阪空港(伊丹)に移動して、旅行会社の臨時カウンターで eチケット控(p8)を入手する。予約クラスを確認すると、東京までの移動のANAが「H」で、ベルリンまで飛ぶルフトハンザは「K」なので、それぞれ基本マイル区間に対して70%と30%に減じられるもののANAマイレージのマイル積算の対象になるようだ。往復で一人8,000マイル程度はゲットできそうなのでN子もニンマリです。

          
             p8  e−チケット

 スーツケースなどの航空会社に預ける荷物は大阪空港(伊丹)で預けて、ベルリンで受け取ることになるので、渡された BAGGAGE IDENTIFICATION TAG に記載された便名と行先が eチケット控 に合致していることを入念に確認する。万が一の悲劇に備えて、機内持ち込みするザッグには、いつも通り1回分の着替えと雨具、防寒着なども詰め込みました。

 無事、羽田空港(第二ターミナル)に到着。国際線行き連絡バスで国際線ターミナルに移動して腹ごしらえします。指定された時間に団体カウンターに出向くと、いつもどおりの長蛇の列ができている。女性添乗員さんに挨拶して、オプショナルツアーの最終的な申し込みをする。催行不可になるのでは・・と懸念していた@の「・・コンサート・」ツアーは、他にも申し込み者がいて催行確定の由で、まずは一安心。さらに、添乗員さんから今回のツアーメンバー32人のうち関西地区からの参加者は、私とN子の二人だけだと伝えられて仰天する。やはり関西地区の皆さんは、東京までの往復の航空運賃を払ってまでルフトハンザ直行便に乗ろうなどとは考えないようです。

 添乗員さんのアドバイスに従って通貨の両替はユーロだけにして、出発ゲートに向かう。すでにフランクフルトまで飛ぶLH0717便のB747-8(p9)が駐機していました。心配していた座席は、搭乗券によると48Dと48Eです。事前に調べておいた座席配置図と照合すると、最後尾から二列目の4席だけ並んだ座席の左側2座席(p10)でトイレも至近。ビールやスパークリングワインがたっぷり楽しめそうです。座席の左側にはスペースもあるので、エコノミークラス症候群の予防のための両脚のストレッチにも使えるかも知れません。
                  
          p9 駐機中の 747-8           p10  座席位置


【 東京 → フランクフルト → ベルリン 】
 14:05発の0717便はほぼ満席。離陸して1時間ほどでドリンクのサービスがある。早速、ビールを注文してルフトハンザ航空の定番であるヴァルシュタイナー(warsteiner)(p11)をいただきます。口当たりが軽く、飲みやすいビールです。昼食(といっても日本時間では16:30ですが・・)は、ボリュームたっぷりの平打ちのパスタの上にビッグサイズのチキンピカタがのって、巻き寿司も附いていました(p12)。これを肴にスパークリングワインを2杯とビールです。食事後、いっぺんに酔いが回って、話題の新作映画「マッドマックス怒りのデス・ロード」を眺めながら寝込んでしまう。お陰で不覚にも夜食用に確保しようと狙っていた「"おにぎり"のサービス」に気がつきませんでした。無念! 夕食(日本時間の23:45頃)は、焼きソーセージをのせたマッシュポテト(p13) 。フランクフルト到着が近いのでアルコールは自重しました。

            
     p11 ドリンクサービス       p12  昼食        p13  夕食


 フランクフルトでは入国審査があります。審査官はナチス映画に出てきそうな眼鏡のオッサン。アジア系には英語やドイツ語は通じないとハナから確信している様子で、前回のスイスと違って質問は全く無し。その代わりか、パスポートの写真を見たあとに私の顔をジロリ。さすが几帳面なドイツ人です。

 ベルリンに向かう国内線への乗り継ぎ時のボディチェックと手荷物検査は強烈でした。 検査場は大混雑。一番早そうな順番待ちの列に並んで、背負っていたザッグをプラスチック製の収容箱に入れる。前方の肝っ玉母さんのような女性検査官が、「ジャケットを脱げ」と言っているようなので、羽織っていたパーカーを脱いでザッグの横に挿入する。

 日本の空港で慣れているゲート型の金属探知機を潜る方式ではなく、ミリ波を使った最新鋭のパッシブ型撮像装置とか言うやつでしょうか・・? 大掛かりなマシンが置かれています。マシンの中に入って万歳ポーズをとる。照射ヘッドが私の回りをぐるりと一回転したようだ。無事にパス。

 ところがどうだ。パスしたはずなのに、今度は、どうみても中東系と思われる黒髭のオッサンによるボディチェックだ。胸から尻、膝あたりまで着衣の上から触ってくる。検査官の指が、ズボンの後ポケットにあった狭心症発作の救急薬(ニトロペン)を入れたパッケージに触れたらしく大声で「これは何だ!」と、言っている風だ。咄嗟(とっさ)に It's a medicine for heart attack. と言ってみるが、オッサンはキョトンとして固まっている様子。お互いに無言の3秒間ほどの沈黙の後、オッサンは「行け!」という仕草。これで解放された。

 N子は無事かな・・? と後方を眺めると、どうも例のマシンで赤ランプが点灯したらしく、N子も女性検査官のボディチェックを受けている。さらに、自主的に靴まで脱いじゃって・・、赤ランプ点灯の原因究明に協力しているようです。律儀な日本人の本領発揮というところでしょうか・・しかし、原因不明のまま、こちらも解放されました。こんな具合では、近い将来エジプト航空機のような惨劇が、ルフトハンザでも起きるかもしれませんね。

 1時間強のフライトでベルリンに到着。心配していた荷物も無事に受け取ることが出来ました。すでに深夜。宿泊は空港からバスで15分ほどの、ベルリンの中心街から東方向に少し外れたリヒテンベルグ地区にあるコンフォートホテル(p14) です。不思議なことに空腹感はなく、ルフトハンザの"おにぎり"がなくても熟睡できました。

     
      p14 コンフォート・ホテル



< 第2日 2015/10/8 >

【 ベルリン 】
 朝のベルリンは生憎の「雨」です。外気温は7〜8℃でしょうか? 「ザッグを背負って、傘はささない」が、ベルリン人の標準的通勤スタイルときいていましたが、最近は傘もポピュラーになったようです(p15)

         
          p15 ベルリン の雨


[ 博物館島 ]
 バスを降りて、現地在住の日本人ツアーガイドさんの案内で、ツアーメンバーの皆さんとゾロゾロ歩き。すっかり秋色になった街路樹(p16)を眺めながら、博物館島(Museum-sinsel ムゼウム・スインゼル)に移動します。まずはベルリン大聖堂(p17)の荘厳さに圧倒される。近づくと、装飾も見事です(p18)。世界遺産の一つですが、私の胸ポケットに入れたレシーバが不調で、ガイドさんの解説の声が聞こえてきません。ここは雰囲気を堪能しましょう。旧博物館(Altes-Museum アルテス・ムゼウム)(p19)やボーデ博物館(Bode-Museum)(p20) の壮大さに感動した後、再びバスに乗り込んで、冷戦時代に東西ベルリンを分断した所謂「ベルリンの壁」が残されている「ニーダーキルヒナー通り」に向かいます。

     
  p16 街路樹の紅葉    p17 ベルリン大聖堂      p18 大聖堂の壁面 

    
   p19 旧博物館       p20 ボーデ博物館


[ ベルリンの壁 ]
 ここに残されている壁(p21)は最終期(1970年代)のものらしくコンクリート製で、意外にも厚さは10数センチしかない。壁を撤去した後の街路の表面には、壁が存在したことを示す金属製の板(p22)が埋め込まれている。大勢のベルリン市民がハンマーやツルハシで石造りの壁を破壊した1989年11月10日の衝撃的なニュース映像が思い出される。冷戦終了後、すでに四半世紀を経過した今、日本人にとっては、壁の悲劇は遠い昔話になってしまっているようです。ベルリンへの観光旅行を計画されている皆さんには、ローランド・ズゾ・リヒター監督のドイツ映画の秀作「トンネル」を事前に鑑賞されることをお勧めします。最近はTSUTAYAの店頭には置いていないようですが・・。共産党に支配された国家に生きる人々がどれほど悲惨かを改めて認識できると思います。

          
      p21 ベルリンの壁       p22 埋められた金属板


 壁が残されている辺りには、ナチ時代にゲシュタポ本部が置かれていて、その跡地に「トポグラフィー・オブ・テラー(独語ではTopographie des Terrors)」という名称の資料館(p23)が建てられている。入場は無料です。館内にはナチス(国家社会主義労働者党)の悪行を示す写真(p24)と解説文(日本語は有りません)が時代を追って、これでもかというほどに並べられています。日本の左巻きの皆さんは、「先の大戦に対してドイツは深く反省している。それに比べて日本は・・」と、ドイツの"反省"を安倍政権に対する攻撃のネタに使うのが常ですが、私にとっては、この資料館の展示も「悪いのは、みんなナチスです。ドイツ人に罪はありません」と喧伝することを意図したドイツ政府による狡猾な広報活動に思えてしまいます。
              
         p23 資料館の入口      p24 ナチスに関する解説資料


[ ブランデンブルグ門 ]
 「壁」のあとは、ブランデンブルグ門(p25)に移動します。雨にも拘わらず大勢の観光客が集まっていました。元々、ドイツ史に関する浅薄な知識しか持たず、旅行出発前に俄勉強しただけの私にとっては、チャイナからの観光客で混雑するブランデンブルグ門よりも、素晴らしい秋色の並木道(p26)や不思議なトイレ(p27)の方が印象に残りました。

            
    p25 ブランデンブルグ門     p26 街路樹の紅葉       p27 トイレ


【 マイセン 】
 昼食は、ドイツ名物のビッグなソーセージ(p28)。昼食後のバス移動に備えてビールは"自重"です。南に向かって約200km走る長丁場で、陶磁器の街マイセンに向かいます。車窓には一面の麦畑(p29)や長閑な村落の風景(p30)が続く。馬鹿デカイ風力発電のサイト(p31)があるのにもビックリです。

    
 p28 昼食のソーセージ     p29 麦畑     p30 長閑な風景   p31 風力発電サイト


 東アジア発祥の「白磁」をドイツ人が自らの手で再現したマイセン誕生のストーリーには感動します。日本人技術者を高給で引き抜いて製品を開発させ「わが社オリジナル」だと言ってのける何処かの国とは違います。さすがドイツ人ですね。マイセン焼きの博物館(p32)では、製造工程の順番に沿ってマイセン職人の皆さんの作業(p33)を間近に見ることができます。マイセン焼きの像(p34)も素晴らしい出来映えです。

         
   p32 マイセン焼き博物館    p33 マイセン職人の作業    p34 マイセン焼き像


 旅行のお土産にマイセンを一つと思っても、貧乏人にはとても手が出ません。せめて雰囲気だけでも味わいたいと、
1Fの喫茶店でコーヒー(p35)をいただきます。ご覧のとおり、カップは確かにマイセンですよ(p36)。ひょっとして、
トイレのこの便器(p37)もマイセン・・? これは冗談です。

         
   p35 マイセン焼きのカップ    p36 カップの底面のロゴ    p37 マイセン焼き?


 マイセン観光後は、30kmほどのバス移動で「エルベの真珠」と形容される美しい景観の街ドレスデンに向かいます。夕食は、300年の歴史があるというビール醸造所に付属した古風な造りのレストラン[Feldschlosschen - Stammhaus](p38)で、この辺りの名物料理のシュバイネ・ブラーテン(豚肉の煮込み)(p39)をいただきます。ビールはドイツで最も売れている小麦ビールであるエルディンガー・バイスビア[Erdinger Weissbier](p40)を試してみる。確かに苦みが少なくフルーティです。ドイツのレストランでは、水が、ワインやビールと同じ値段ですから・・「飲まなきゃ損」だとばかりに女性陣も大グラスのワインで喜々として乾杯です。宿泊はドレスデンのクオリティ・ウエスト・ホテル(p41)でした。

       
 p38 レストラン     p39 シュバイネ・ブラーテン  p40 エルディンガー   p41 クオリティ・ホテル



<第3日 2015/10/9 >

【 ドレスデン 】
 クオリティ(quality 上質な)ホテルという立派な名前に比べて、ホテルの造りや調度は今ひとつですが、朝食バイキングはリッチです。これでもかというほどのテンコ盛り(p42)にして、結局、全部平らげてしまいました。

   
     p42 朝食


 ドレスデンでは、まずエルベ川沿いの旧市街地区にある観光スポットの劇場広場に向かいます。広場の中央にはゼンパー・オペラ(現在はザクセン州立歌劇場オペラ座)の建設を命じたザクセン王ヨハンの騎馬像(p43)が置かれ、その周囲に三位一体大聖堂(旧宮廷教会)(p44)、レジデンツ王宮(ドレスデン城)(p44)、ツヴィンガー城(p45)、ゼンパー・オペラ(p45)が並ぶ。ガイドさんのバロック様式・・云々の解説は聴いてもチンプンカンプンですが、その荘厳さには圧倒されます。パノラマ写真機能を使っても、私の貧弱なカメラでは、その全貌を捉えきれませんでした(p46a)(p46b)

  
 p43 騎馬像     p44 大聖堂と王宮      p45  ツヴィンガー城 と ゼンパー・オペラ


             p46a  劇場広場(I)

 
             p46b  劇場広場(U)


 一頻り写真を撮った後、バロック建築の傑作と言われるツヴィンガー城に入る。その規模と壮大さ(p47)(p48)は圧巻です。北側の美しいエルベ川の河畔(p49)[かって世界自然遺産にも登録されていた]を東方向に少し歩くと、フラウエン聖母教会のドーム状の屋根(p50)が見えて来る。


           p47  ツヴィンガー城内(T)

 
           p48  ツヴィンガー城内(U)                 p50 聖母教会の屋根


                  p49  エルベ河畔


 ドレスデンは1945年2月、米・英空軍の絨毯爆撃によって市中心部が壊滅し、婦女子を含む多くの市民が犠牲になりました。まさに広島・長崎への原爆投下や東京大空襲に匹敵する非戦闘員の大量虐殺でした。この聖母教会も崩落して、瓦礫が堆積された状態で、戦後長らく放置されていたようです。

 東西ドイツ統一後にドイツ国内の歴史的建造物の再建活動が強力に推進され、この聖母教会も世界中から募った寄付金182億円をもとに瓦礫から取り出した部材(黒くくすんでいるので一見して識別できる)と新しく製造した部材を組み合わせて再現されました。

 この見事に再建された教会(p51) を眺めていると「世に在るものは必ず朽ち果てる」(故に「残すべきものはその造り方を人づてに伝承して同じものを再現する)ことを前提にした日本文化と、「幾百年を経てもそれはそこに在る」のが当たり前の西欧文化との違いを改めて認識できるようです。

   
    p51 聖母教会

 ドレスデン観光を計画されている皆さんには、前述のドイツ映画「トンネル」と同じリヒター監督のドラマ「ドレスデン運命の日」を事前に鑑賞されることをお勧めします。ラブ&サスペンスが主題のドラマですから文化財保護の観点からは少々逸脱しますが、米・英がドレスデンを空爆の目標に設定する経緯のバカバカしさや、有史以来、一神教の肉食民族が何度も繰り返してきた大量殺戮の無慈悲さを十分に理解できます。TSUTAYAの場合、この「ドレスデン・・」は、店頭には置かれていませんが「取り寄せシステム」でDVDをレンタルすることができます(¥350/1weekだったと思います)。 

 レストランが立ち並ぶ一画(p52)を抜けて、ドレスデン城のアウグスト通り沿いの外壁に向かう。この外壁にはザクセンの歴代君主の騎馬像や各時代の芸術家などを描いた壁画(p53)(p54)が残されている。マイセン焼きの陶器タイルが用いられており、奇跡的に戦災を免れたという。

       
     p52  レストラン街      p53 アウグスト通りの外壁      p54  壁画


【 プラハ 】

[ プラハへ移動 ]
 美しい街ドレスデンをあとに一路南へ。気さくなスロバキア人のキゴールさんが運転するメルセデス・ベンツ製の大型バスで国境の向こう側のチェコを目指す。プラハまで150kmの長丁場のはずだが、走り始めて30分ほどで、早くもチェコとの国境を越えてしまう。チェコはこれほど近かったのか・・と改めて思い知る。世界征服を夢見た狂気のナチス・ドイツがチェコのズデーテン地方の割譲を手始めに、瞬く間にチェコを併合した地政学的必然性を奇妙にも納得してしまう。

 ハイウエイ沿いには、長閑な田園風景(p55)が広がる。チェコの農村(p56)はドイツに比べて素朴な雰囲気が感じられます。
         
      p55 長閑な田園風景       p56 チェコの農村風景


[ 昼食 ]
 途中で昼食。秋色の修道院(p57)の裏手から、同じ敷地内にあるチェコ風の外観のレストラン[Velka Klasterni restrance](p58)へ。野菜たっぷりのスープ(p59)のあとは、白身魚(タラ?)のフライ(p60)でした。午後はプラハ市街の世界遺産巡りで、石畳の上をたっぷり歩くことになりそうなのでアルコールは自重して、ノンアルビールのネアルコ(nealko)(p61)にしました。
    
 p57 秋色の修道院    p58 チェコ風味のレストラン    p59 チェコ風スープ   p60 白身魚のフライ   p61 ネアルコ


[ プラハ城 ]
 プラハ歴史地区観光は、プラハ城からスタートです。どう見ても地味な衛視兵が立つ簡素な城門(p62)から城内(p63)に入ります。バロック仕上げのゴシック建築として有名な聖ビート教会(p64)は城内にあります。完成までに数世紀を要したので、デザインはロマネスク様式、メインタワーなど主要部(p65a)はゴシック様式、南塔などはバロック様式で造られており、建築史家にとっては垂涎もののようですが、建築音痴の私には教会の内部(p65b)にあるこの複雑な装飾が施された美しいステンドグラス(p66)の方が楽しめました。

         
    p62 プラハ城の城門       p63  城内       p64 聖ビート教会

         
  p65a 教会のメインタワー    p65b 教会内部   p66 ステンドグラス


[ カレル橋 ]
 石畳がつづくプラハの街並み(p67)(p68)はどこも美しく観光客が溢れています。イタリアなどで見られた路上の「ゴミの散乱」や「壁の落書き」も、ここでは見当たらず、もちろん「物乞い」もいません。国際色豊かな観光客の群れ(p69)に混じって、ヴォルヴァ川(独語では、モルダウ川)に架かるカレル橋に向かいます。

     
   p67 歴史地区の街並み     p69 観光客の群れ

   
            p68  歴史地区の美しい街並み


 モルダウ川は午前中のドレスデンを流れていたあのエルベ川の上流にあたります。このカレル橋の上からの眺め(p70)(p71)は、まさに絶景です。世界中から多くの観光客がプラハに集まる理由がこの景色を眺めて理解できた思いがしました。

            p70  モルダウ河畔の美しい眺望(T)


            p71  モルダウ河畔の美しい眺望(U)


 音楽好きの皆さんであれば、チェコの作曲家スメタナの代表曲である「わが祖国」の「第2曲 モルダウ」の旋律( https://www.youtube.com/watch?v=xihiNhEqt6Y )が想い浮かんでくることでしょう。この美しい旋律は中学校の合唱曲「モルダウの流れ」( https://www.youtube.com/watch?v=nOSApSPoU8c )として採用され、今では若い皆さんにもポピュラーなようです。

 カレル橋を渡った旧市街地区(p72a)(p72b)で、夕食まで1時間ほどのフリータイムです。旧市街地の広場も旅行者で満杯(p73)です。歩き疲れて、暫しワイルドな裸オッサン(p74)のパフォーマンスを楽しみました。

      
   p72a 旧市街地区      p72b 旧市庁舎    p74 大道芸パーフォーマー

  
            p73 旧市街地区の広場の観光客の群れ


[ 夕食 ]
 夕食は、老舗ビアレストランのウ・メドヴィードクー[Restrance U Medvidku]で。前菜(p75a)のあと、チェコ料理の定番のグヤーシュ(シチュ-)とクネドリーキ(チェコ風蒸しパン)(p75b)をいただきます。ビールは、元祖バドワイザーのブドヴァル(Budweiser Budvar)(p76)。恥ずかしながらバドワイザーの本家本元がチェコであることをこのレストランで初めて知りました。チェコではデザートアイス(p77)も素朴でした。

    
  p75a 前菜      p75b グヤーシュとクネドリーキ   p76 ブドヴァル    p77 デザートアイス


[ プラハの夜景 ]
 夕食後、ツアーメンバー揃ってプラハの夜景観賞に出掛ける。ライトアップされた旧市街(p78)やモルダウ河畔(p79)が幻想的でした。絶景三昧の第3日もこれで終了です。

       
    p78 旧市街地区のライトアップ    p79  モルダウ河畔のライトアップ


[ ホテル ]
 宿泊はトップホテル・プラハ(p80)です。社会主義政権時代に国際会議場として建設されたビルをホテルに転用したもので、ベッドルームも浴室もスペースは超特大、バスタブも立派でした。しかし、建屋面積が広大なためか、客室から食堂やロビーまでの経路は長く、かつ複雑怪奇で、朝食時と出発時には、ツアーメンバーに "迷子" が大量発生しました。私の後方を歩いていたはずのN子の姿まで忽然と消えてしまい、添乗員さんから "捜索ミッション" を指示された私はホント大変でした。
          
          p80 トップホテル・プラハ



< 第4日 2015/10/10 >

  昨日の朝、食べ過ぎた反省から今朝は野菜中心で軽めに済ませます(p81)。朝食後、キゴールさん運転のバスでオーストリアとの国境近くの世界遺産の街チェスキー・クルムロフまで一気に南下します。178km、約3時間のバス移動です。チェコも高速道路(p82)の快適さはドイツと変わりません。サービスエリアのトイレ(p83)も清潔です。便器の取り付け位置が若干高いようで、私を含めて短足の日本人には少しばかり違和感があるかも知れません。

      
  p81 トップホテルの朝食   p82 チェコの高速道路   p83 サービスエリアのトイレ


 バスには、500mlサイズのペットボトル入りのミネラルウォータがたっぷり用意されていて、キゴールさんが一本1ユーロ(旅行当時のレートで135円)で分けてくれますので、飲料水の調達には全く不便を感じませんでした。キゴールさんにとっても、チョットした小遣い稼ぎになっているようです。


【 チェスキー・クルムロフ 】
 頭上にトロリーバス用の架線が走ったチェスキー・クルムロフの市街地(p84)を抜けて、神聖ローマ帝国時代の景観やルネサンス様式の建築物が残り、「世界で一番美しい街」のキャッチコピーで知られるチェスキー・クルムロフ歴史地区を目指します。
        
          p84 市街地を抜ける


[ 歴史地区散策 ]
 駐車場から案内板(p85)の横を抜け、秋色のアプローチ道路(p86)を歩いて、まず川沿いの崖の一角にあるビュースポットから街全体(p87)を展望する。街を遠く囲む丘の緑色を背にして、屋根のオレンジ色が映える。ここからは、街のシンボルであるチェスキー・クルムロフ城や聖ビート教会も眺めることができます。眼下に白く輝いて見える清流は、プラハを流れていたあのモルダウ川そのものです。
      
  p85 歴史地区の案内板   p86 歴史地区へのアプローチ道路      p87  歴史地区の眺望


 街の中心部にある広場(p88)でいったん解散してフリータイム。案内所で地図(p89)[英語、独語、ロシア語の他に日本語も書かれています]を入手して街を散策する。どこを眺めても絵はがきになりそうで(p90)(p91)、N子も大興奮です。私はこの構図(p92)が気に入りました。お城(p93) もこのように下から眺めると威圧的です。


             p88 歴史地区の中心部の広場

  
p89 歴史地区の案内パンフレット    p90 歴史地区を散策(T)     p91 歴史地区を散策(U) 

   
  p92 歴史地区を散策(V)       p93 チェスキー・クルムロフ城


[ 昼食/ウィーンへ移動 ]
 しっかり歩いて疲れたところで広場にあるレストラン[Mastal Restrance](p96)で昼食。ここの名物のマス料理[マスの姿焼き](p97)ですが、少しグロテクスかも。本日の作業はこれまで。昼食後は国境を越えてウィーンまで約250kmのバス移動です。
          
        p96 レストラン        p97 マス料理


 午前中2時間ほど歩いただけなのですが、バスの中では皆さん爆睡状態。夕刻にウィーンに到着し、早速、夕食です。ビールはこのレストラン[Blindengassen Beisl](p98)の定番のジプファー(zipfer)、スッキリした飲み心地です。スープ(p99)のあとのメインディッシュは、ウイーン風?鶏肉の煮込みとパスタ(p100)。てんこ盛りだったせいか完食したのは私だけのようでした。宿泊はウィーン郊外の温泉リゾートエリアの横に立つノッポビルのアイロ・ウィーン(旧名アイロ・タワー)ホテル(p101)です。
        
   p98 レストランの看板    p99 スープ     p100 パスタと鶏肉煮込み  p101 アイロ・ウィーン



< 第5日 2015/10/11 >

【 ウィーン 】

[ ホテルの朝食で ]
  部屋数が多いホテルのせいか、朝一番のレストランは大混雑。それもそのはず、チャイニーズの団体さんが一緒でした。不思議なことに食堂に白人旅行者の姿が見えない。西欧人ツアー客がテーブルに着こうとするとスタッフが何やら喋って、そのツアー客はそそくさと出て行ってしまう。食堂には、日本人ツアー客とチャイニーズだけだ。「隔離されたな・・」と直感して、添乗員さんに冗談のつもりで「このホテル、人種隔離政策をとってるんですね・・」とぼやいてみると、添乗員さんビックリした様子で「そんなことはありません! 人数が多いので分けたんだと思います」とのお話。確かにこのホテルには、食堂が複数あったようですが・・。

 事件は続きます。スプーンが定位置に無いのです。大勢が食堂に押し寄せて、足りなくなってしまったらしい。「スプーンが無い・・・」の日本語が食堂に飛び交う。毎度のことですが、ツアーの男性メンバーで一番若そうに見えるらしい私のところに「スプーンが有りませんね・・」の陳情がやってくる。それではと、配膳室に侵入して、お人形さんのように美しい若い女性スタッフさんに定型の Excuse me ・・ Could you ・・ を使って「スプーンを下さい・・」とお願いすると、怪訝(けげん)な面持ちで「ここにあるから持って行け」という仕草。ウヒャ、差別意識丸出し? またしてもチャイニーズと間違えられたか・・? しかし、ここは冷静に・・。とりあえず、自分とN子の二人分をつかんで配膳室を出ると、さっきの陳情屋オバ様が待ち構えている。「そこに沢山ありますよ」と言いながら手に入れたスプーンを見せると、オバ様も配膳室に突進だ。直ぐに別のオバ様がこれに続く。さっきの女性スタッフ、ようやく事件の重大性に気がついたらしく、収納器に入った大量のスプーンを定位置に置いた。やっと解決・・? いいえ、事件はこれが始まりでした。コーヒーが出ない・・、ハムは・・、何で小さなお皿が無いの・・、チャイニーズの大軍に日本人が果敢に挑んだバイキングスタイルの食堂は、修羅場と化しました。「1F食堂、大騒擾」にも関わらず朝食(p102)はしっかりいただきましたよ。
      
      p102 ホテルの朝食


[ ウィーン中心部へ移動 ]
 朝食後、出発までの時間を使って、ホテルから西へ200mほどのところにあるという市電の Kurzentram Oberlla停車場に下見に行く。オプショナルツアーの「・・コンサート・」が催行不可になったときは、午後のフリータイムのあと、ウィーンの地下鉄U1のロイマンプラッツ(Reumanplatz)駅から「市電67番」に乗り換えて、この停車場まで戻る計画だった。確かに停車場はあったが、何故か市電ではなくバス(p103)が停まっている。ロイマンプラッツ行きのバスは「68B」(p104)と表示されている。(帰国後、ネットで再チェックすると、市電67番は運行停止の由。ホテルからウィーン中心部へは、バスで往復することになるようです)

          
     p103 68Bのバス停       p104 バス停の表示


 バスに乗り込んでウィーン歴史地区の観光に出発する。ホテルの裏側の温泉リゾート(クアパーク)の入口近くには、日本人の好みに合う「甘すぎない美味しいケーキ」で評判のカフェ、コンディトライ・オーバーラー(Oberlla Konditorei)の本店(p105)があります。ウィーンもレンタ・サイクル屋(p106)が盛況のようです。ウィーンの公道には自転車専用レーンが設けられているので、自力で行動するときは便利かも知れません。

          
      p105 評判のカフェ       p106 レンタ・サイクル


[ シェーンブルン宮殿 ]
 まずはパプスブルグ家の歴代皇帝が夏期の離宮として使っていたシェーンブルン宮殿(p107)に入ります。広大な前庭(p108a)はもちろんのこと、両翼の端から端までが180mという壮大さには、ただ呆れるばかりです。宮殿内のマリー・アントワネットやナポレンが使ったという部屋、幼少時のモーツアルトが御前演奏を行った部屋などを無線レシーバからのガイドさんの解説で一つひとつ追っていくと "贅を尽くす" という言葉の本質が分かってくるような気がします。絶対王政では、民から搾取した財の最終的な行き先がこれなのです。太閤秀吉の贅沢など、これに比べたらカワイイものでしょう。
  
             p107  シェーンブルン宮殿

  
             p108a  宮殿の前庭


 現在、オーストリアの文化財管理公社が、宮殿の二階部分を除いた居室を低家賃の賃貸住宅として一般市民に開放しているという事実は、オーストリアが、ほんの100年前まで、贅沢三昧のパプスブルグ家の血を引く世襲皇帝による支配を甘んじて受けていたことに対する免罪符のつもりなのでしょうか? それは別にしても "贅を尽くした" 宮殿内部が「写真撮影禁止」であるのは何とも残念です。

 裏側のテラス(p108b)に上がると、前庭よりもはるかに広大な庭園(p109)に圧倒される。遠く庭園の奥の丘の上には、女帝マリア・テレジアがプロセイン軍に勝利した記念に建てたといわれるギリシア風建築のグロリエッテ(p110)が見えます。グロリエッテから眺めたこの宮殿の姿が素晴らしいようですが・・あそこまで往復するには20分は必要でしょう。とても時間が足りません。実際、集合時間に遅れないようにと、ツアー仲間の皆さんは、駆け足で移動していました。

        
    p108b 宮殿のテラス       p110 グロリエッテ

   
                p109  宮殿の庭園


[ ベルベデール宮殿 ]
 次はベルベデーレ宮殿(p111)に向かいます。パプスブルグ家に仕えたプリンツ・オイゲンが夏期の離宮として造らせたバロック建築の宮殿(p112)で、現在はオーストリア絵画館として「接吻」(p113a)を始めとするクリムトの作品や、エゴン・シーレなどの作品を展示しています。混雑回避のためでしょうか・・ザックを背負っての絵画作品の鑑賞は御法度のようです(ゲス騒動の当事者ベッキーさんに似た女性スタッフから「荷物は手に持ちなさい!」と注意されてしまいました)。 ガイドさんは熱心に解説してくれますが、常に幼稚な写実至上主義に頭を支配されてしまっている私にとって、クリムトなどの抽象画への "理解" を試みることは、古代遺跡の謎解きのプロセスを辿るようなもので、全くチンプンカンプンです。 しかし、宮殿の裏側に廻って、この見事な庭園(p113b)を眺めると、"謎解き" で迷子状態になった私の頭もスッキリして、気分転換ができます。

      
   p111 ベルベデーレ宮殿(I)    p112 ベルベデーレ宮殿(II)  p113a クリムト の「接吻」

  
              p113b 宮殿の庭園


[ ケルントナーリング ]
 宮殿をあとにして、Schloss Belvedere停車場(p114)から路面電車(p115)に体験乗車して、ケルントナーリングのOper停車場(p116)に移動する。リングと呼ばれるこの辺り一帯がウィーン歴史地区で、歴史的建造物が集中しています。ゴシック様式の外観を持つシュテファン寺院(p117)をカメラに収めたあと、ケルントナー通りの東側にあるレストラン、ミューラー・バイスル(Mueller beisl)まで歩く。

     
 p114 Belvedere停車場   p115 路面電車   p116 Oper停車場     p117 シュテファン寺院


[ 昼食 ]
 ミューラー・バイスル(p118)は、日本出発前に、オプショナルツアーの「・・コンサート・」が催行不可になったときには、ここで夕食を摂ろうと決めていたレストランです。日本語メニューが置かれているなど、日本人旅行者が利用しやすいと評判の店のひとつです。前菜(p119)のあとオーストリアの定番料理であるヴィーナー・シュニッツェル[Wiener Schnitzel](子牛のカツレツ)(p120)をいただきます。(揚げたてを直ぐに食べようと焦って・・写真を撮るのを忘れました。p120はウィキピディアに掲載されている写真を借用しました) ビールは、昨晩がジプファー(zipfer)でしたので、今日はもう一つのオーストリアの代表銘柄であるカイザー(kaiser)(p121) にしました。さっぱりした飲み口で、夏向きかも知れません。
        
  p118 ミュラー・バイスル     p119 前菜      p120 ヴィーナーシュニッツェル   p121 カイザー


[ 時計博物館 ]
 昼食後、私とN子は約5時間のフリータイムです。計画どおりシュテファン寺院の内部(p122)を見てから、ウィーン市立時計博物館を見学し、残った時間をスーパーでの買い物に充当することにします。歴史地区には沢山の美術館や博物館がありますが、その中から時計博物館を選んだ理由は四つです。「入館料が安くて」、かつシュテファン寺院から距離的に「近い」こと、そして小さい博物館なので「見学時間が短くて済み」、さらに「日本製の時代物の時計が展示されている」からです。
          
          p122 シュテファン寺院内部


 博物館への道順は旅行出発前にネットで調べておきましたが、結局、ウィーンで添乗員さんからいただいた地図(p123)が一番分かり易く、この地図を使って博物館の玄関前(p124a) に一発でアクセスできました。

 一人6ユーロの入館料(p124b)を払い、無料(コインを挿入すると扉を閉めることができ、使用後にそのコインが戻ってくる方式)のロッカーに荷物を預けて展示室に向かいます。展示室は1F〜3Fにあり、監視員を兼ねているらしい説明担当のスタッフが各フロアに最低一人配置されています。

     
  p123 時計博物館(赤印)への地図      p124a 博物館の玄関    p124b 入場券


 創生期の振り子時計(p125)に始まって、初期の世界時計(p126)、面白い動きをしそうなカラクリ時計(p127)、日本の江戸時代中期(18世紀)の柱時計(p128)や置時計(p129)、世の中にクウォーツ時計が導入された当初のシチズン製の腕時計(p130)など珍しい時計がこれでもかというほどに展示されています。

     
p125 振り子時計 p126 世界時計 p127 カラクリ時計  p128/p129 江戸時代中期の時計   p130 シチズン・クォーツ 


 アジア諸国で時計が展示されているのは我が国だけでした。日本人のオリジナリティの高さが少しばかり誇らしく感じられました。壁などに掲示されている独語の解説文には英語が併記されていますが、日本語はありません。解説文の内容が、かなりアッサリとしているのは、スタッフが口頭で詳しく説明するからということなのでしょうか? 休日なのに館内は閑散としていて、スタッフも手持ちぶたさの様子でしたが、これだけのスタッフを市職員として抱えることができるウィーン市の財政的な豊かさが羨ましく思えました。


[ スーパーで買い物 ]
 時計博物館で時間を潰した後は、スーパーでの買い物です。ウィーンの一般市民の皆さんが日常的に口に入れている低価格の食料品をスーパーで購入したいと思います。この買い物の顛末については、これ をご覧下さい。


[ コンサート ]
 レジデンツ管弦楽団のコンサートツアーに参加する皆さんの集合場所は、オペラ座(p131)がある地下鉄カールプラッツ(Karlsplatz)駅近くのパン屋さんの前です。その前に・・と思ってトイレを探す。ウィーンの宮殿や美術館、博物館などのトイレは無料ですが、この辺りを含めて地下街などのトイレはほとんど全てが有料です。大抵の場合、入口付近に「帽子に髭のオジ様」が立っていて、掲示されている料金のコインを渡すと通してくれます。

    
      p131 オペラ座

 パン屋さんの前でツアーメンバーの皆さんと再会します。「パプスブルグ家ゆかりの地巡り」のオプショナルツアーに参加された皆さんは、歴史地区を徒歩で移動したため、ホテル出発時からの万歩計の累積歩数が25,000歩を超えてしまったそうです。私たちもかなり歩いているので、これには納得です。

 まずは夕食。レストランMnozil's Gastwirtschaft Zum Kellergwolb(p132)で、前菜(p133)のあとターフェル・シュピッツ[Tafelspitz](牛肉煮込み)(p134)をいただく。ターフェル・シュピッツは、昼食で堪能したヴィーナー・シュニッツェルと並んでこのウィーン地方の代表的料理です。飲み物は、コンサート中にトイレが近くなるとまずいので、ビールは自重して、赤ワインにしました。デザートはウィーン名物のパラチンケン[Palatschinken](p135)。日本でいうクレープを巻いたもので、中にペースト状のチョコレートが包まれていました。

    
 p132 レストラン    p133 前菜     p134 ターフェル・シュピッツ  p135 パラチンケン


 コンサート会場はアウエルスペルク宮殿(p136)です。入場受付口は大混雑でした。スーパーで買い込んだ食料品を詰め込んだザッグを1Fのクロークに預けて(料金は1ユーロ/個)、優雅な造りの階段を上がって2Fへ。演奏会場前も人だらけ(p137)です。ネット情報では「ドレスコードはない」とのことでしたが、他の皆さん、特に外国人の皆さんがネクタイ着用だったらどうしよう・・と、一張羅(いっちょうら)の紺色セーターを「着たきりスズメ」している私にとっては少しばかり心配でしたが、私同様にセーターだけのラフなオジさん(p138)を複数見つけて一安心です。

         
  p136 アウエルスベルグ宮殿    p137 会場前の混雑      p138 コンサート会場


 登壇した楽団メンバーは10人ほどでしたが、聴衆がせいぜい300人ほどの狭い会場では十分な迫力です。演目は、フィガロの結婚、トルコ行進曲、美しき青きドナウ、ウィーンの森の物語などクラッシック音痴の私でも聴いたことがあるポピュラーなものが主体で、声量たっぷりのオペラ歌手による独唱やデュエット、さらにコント混じりの舞踊まで挿入されて楽しく、会場全体が大いに盛り上がって、約2時間の公演があっという間でした。途中の休憩タイムにサービスされたシャンパンも美味でした。



< 第6日 2015/10/12 >

 チャイニーズのツアー客は昨日、ホテルを後にしたらしく、平穏な朝食タイムでした。外気温は5℃ですが、体が現地の気候にスッカリ順応してしまっているようで、ウールのセータの上に薄手のパーカーを羽織っただけの軽装でも寒さは感じません。

 今日の午前中は、ブダペストまでの240km超の大移動。国境を越えてハンガリーに入ると、車窓に麦畑(139)が目立ってきます。かっての社会主義経済の残渣が色濃いハンガリーですが、ガソリンスタンドは近代的でした。新車らしい"三菱のランサー"(140)が給油中で、こんな田舎にも・・と少しばかり感動しました。

            
    p137 延々と続く麦畑       p138 三菱車ランサー



【 ブダペスト 】

[ 昼食 ]
 ブダペストを、東側の "ペスト" と 西側の "ブダ" に隔てているドナウ川を渡って(p141)、まずは、ペスト側の聖イシュトバーン大聖堂近くのワインハウス[Domus Vinorum](p142a)で昼食です。頭をぶつけそうな狭い洞窟(p142b)を抜けて、地下にあるワイン貯蔵所を改装した食堂(p143a)に案内され、前菜(p143b)のあとにハンガリー風ローストポーク(p144)をいただきました。デザートは、ババロア(p145)です。ワインハウスお薦めの白ワインを飲んだはずですが、何故か"ワイン"の写真が残っていません。食事中は陽気なミュージシャン(p146) による生演奏があります。日本の楽曲まで繰り出して楽しませてくれますが、私たちの背後に回り込んできて、チップを渡さないと、演奏を止めてくれないのでご用心。

   
 p141 ペスト側へ渡る   p142a ワインハウスで昼食   p142b 洞窟?     p143a 食堂    

   
 p143b 前菜      p144 ローストポーク    p145 ババロア    p146 生演奏


[ 地下鉄の体験乗車 ]
 昼食後、日本語が堪能なハンガリー人女性ガイドさんの案内で、ワインハウスから南方向に歩きます。ブダペストも自転車専用道路(p147)が完備されているので、団体ツアーでなければ、レンタ・サイクル(p148)が便利かも。プラハと同様に街路(p149)は美しく、路上のゴミや壁のらく書きも見当たりません。ヴェレシュマルティ広場の前には高級スイートで有名な老舗のカフェ、ジェルボー[Gerbeaud](p150)がある。ギリシア風味の美しい白亜のビルです。ここから地下鉄1号線(M1)のDeak Ference駅に降りて、英雄広場(Hosok tere)駅(p151a)まで、地下鉄(p151b)の体験乗車をします。券売機(p152)や打刻機(p153)は、ウィーンの地下鉄で使われているものと外観がほぼ同じでした。ブダペストの地下鉄は世界で三番目に営業運転を開始した古い歴史を持っていますが、現行システムは西側から導入したもののように見えました。

   
p147 自転車専用路   p148 レンタサイクル     p149 美しい街路      p150 カフェ・ジェルボー


              p151a  地下鉄1号線

  
 p151b 地下鉄車両      p152 券売機       p153 打刻機


[ 英雄広場 ]
 英雄広場(Hosok tere)駅で地上に上がると、目の前に巨大なスペースの広場(p154)がある。中央に大天使ガブリエルの像を戴いた柱状の建国1000年記念碑が立ち、その台座の周りには、9世紀にカルパティア山脈を越えてハンガリーに入ったマジャール人の大首長アールバートや部族長などハンガリー人の祖先となる人々を称える騎馬像(p155)が配置されている。また、台座の左右には七つずつイシュトバーン1世などハンガリー王国時代の英雄たちの像が置かれ、ソ連の支配に反抗してハンガリー動乱を指導したナジ・イムレもこの広場に埋葬されています。像に向かって、右側にはブタペスト現代美術館、左側にはブタペスト西洋美術館が立っています。


                     p154  英雄広場


   p155  騎馬像


[ 王宮の丘 ]
 ここからはバスに乗り込み、緑の多い(p156)美しい街並み(p157)を抜けて、対岸のブダ(Buda)に向かいます。途中、ドナウ川越しに壮大な王宮(p158)が見えてきます。王宮は現在、美術館や博物館として使用されているそうです。

  
 p156 緑の多い街路    p157 美しい街並み     p158 ブダ側にある王宮


 王宮の丘でバスを降りて、まずブダペスト最大の見所の一つとされている高い尖塔が印象的なマーチャーシュ教会(p159)に向かいます。ガイドさんの解説によると、当初、13世紀にロマネスク様式で建てられたが、14世紀にゴシック様式で建て直され、オスマンの支配下ではイスラム寺院となり、18世紀以降は、バロック風に、さらにネオ・ゴシック様式に改装されるという複雑な歴史を辿っているようです。建築音痴の私は、優美であると同時に力強さも兼ね備えているその姿に感動するばかりです。
              
               p159 マーチャーシュ教会


 ここで一旦、"みやげもの店" に案内されてお買い物です。現地ガイドさんに案内されて入る "みやげもの店" は、プラハでの "ボヘミアングラス店" に続いて今回のツアーでは二度目ですが、このようなお店で "高いものを買わされた" 忌まわしい過去を持つN子は、今回も何一つ購入しなかったようです。N子は、店のマスターや、ガイドさんが盛んに奨めたハンガリー産の "パプリカパウダー" に興味津々でしたが、やはり価格が気に入らなかったようです。その経済観念はお見事です。

 教会の周辺には、三位一体像(p160)や、いかにも地味な雰囲気の旧市庁舎(p161)、聖イシュトバーンの勇ましい騎馬像(p162)などが立っている。どす黒い排気ガスを吐き出しながら、喧しく走り回る乗り合いバス(p163)は、社会主義政権時代の名残りのようです。

   
  p160 三位一体像      p161 旧市庁舎    p162 聖イシュトバーン騎馬像   p163 乗合バス


 王宮の丘の「漁夫の砦」越しに眺めるドナウ川の両岸は、まさに絶景(p164)(p165)です。「はるばるやって来た甲斐があった」というところでしょうか。ブダ側とペスト側を最初に結んだ歴史的な橋である鎖(くさり)橋の向こうに、今日宿泊するソフィテル・ホテル(p166)が指呼のうちです。欧州の他の観光都市と同様に、高層建築物に対する高さ制限があるブダペストでは、街並みを遠くまで見通すことができ、国会議事堂と並んでブダペストで最も高いといわれている聖イシュトバーン大聖堂の屋根もはっきりと確認できます。
  
 p164 漁夫の砦からの眺望(I)       p166 漁夫の砦からの眺望(V)


                 p165 漁夫の砦からの眺望(U)


 美しい景色を堪能した後は、歩いて王宮の反対側(p167)に回ります。途中で、くさり橋を斜め横から眺める(p168)など、また違った角度からの景観(p169)が楽しめます。石畳の上を歩くのは疲れますが、ハンガリー名物の棒菓子パン"キュルテーシュカラーチ"の売店(p170)を見つけたり、「ボール紙のボディ」と揶揄された社会主義政権時代の大衆車 "トラバント"(p171)が現役で使用されている姿に遭遇したりと、面白い発見もありました。

   
 p167 王宮の正面側     p168 くさり橋    p170 キュルテーシュカラーチ売店  p171 トラバント


                p169  王宮の丘からの眺望


[ 夕食 ]
 夕食は、ビールの醸造所を兼ねたレストラン "カルテンベルグ[Kertenberg]"(p172)で。ここも食堂のフロア(p173)は貯蔵所を改修したような雰囲気です。スープ(p174)のあと、鶏肉を使ったハンガリー風グヤーシュ(煮込み)(p175)をいただきました。ビールは自家製のオリジナルビールが楽しめます。

   
p172 カルテンベルグ    p173 食堂のフロア     p174  スープ     p175 グヤーシュ


[ ソフィテル・ホテル ]
 宿泊は今回のツアーで唯一の五つ星ホテルのソフィテル・ホテル(Sofitel Hotel)(p176)です。くさり橋近くのドナウ川沿い(p177)にあり、路面電車の停車場(p178)にも近いという絶好のロケーションです。さすが五つ星、客室や食堂のフロア(p179)(p180)は落ち着いた雰囲気でスペース的にもゆったりとしています。

  
  p176 ソフィテル・ホテル      p177 くさり橋     p178  路面電車の停車場

 
  p179 客室内部     p180 食堂フロア


[ ドナウ川ナイトクルーズ ]
 21:00発のナイトクルーズ船を予約しているので、いったん部屋に入って、ダウンジャケットを着込むなどの支度をしてから、マリオット・ホテルの西側にあるLEGENDAの船着場[赤印](p181)まで歩きます。ゆっくり歩いて10分ほどの距離で、日本出発前にgoogleのストリートビューを使ってイメージトレーニングをしておいた成果もあって、迷わずに船着場(p182)に到着できました。
         
          p181  船着場へのルート         p182  船着場


 アジア系と思われる乗客は、私たち二人とコリアンらしい若いカップルだけで、他の乗客はほとんどが欧州系でした。不思議なことに予約チケットを使ったのは、私たちだけのようで、他の皆さんは当日券を購入したようです。寒くなったこの季節であれば、予約は不要のようです。

 当日券は一人5,500フリント(当時のレートで約2,400円)。私たちは、ラプソーディア(Rapszordia)という代理店( http://rapszodia.hu/ )を通じて予約し、一人18ユーロ(約2,400円)でしたので、この代理店は良心的なようです。

 外気はかなり冷え込んでいましたが、キャビンは、屋根付き/ガラス張りで風が遮られて快適でした。ドナウ川の両岸はライトアップされて(p183)、王宮(p184)も聖アンナ教会(p185)も幻想的。無数のライトを点灯させたくさり橋(p186)も美しく、約1時間のクルーズを堪能しました。クルーズ中にドリンクの無料サービスがあり、シャンパンを楽しむことができました。
 
  p183 ドナウ河畔のライトアップ             p184  王宮

 
    p185  聖アンナ教会            p186  くさり橋



< 第7日 2015/10/13 >  

【 ブダペスト 】

[ ホテルで ]
 ソフィテル・ホテルの朝食は上質です。本来であれば一品ごとにゆっくり味わいながらいただくべきですが、やっぱり "テンコ盛り"(p187)になってしまいます。こういうのを "貧乏根性" というのでしょうね。

   
   p187 ソフィテル・ホテルの朝食


[ スーパーで買い物 ]
 今日は、ホテル出発が11:30AMなので、午前中に3時間ほどフリータイムがとれます。ツアーメンバーの皆さんの一部は、現地ガイドさんの案内で "中央市場" にショッピングに出掛ける計画だと聞いていましたが、添乗員さんから "行きますよ" という通知がなかったので、私とN子は別行動を取ることに決めて、まずホテルの近くにある聖イシュトバーン大聖堂(p188)を眺めて、帰路に地図(p189)にあるスーパーで買い物をすることにしました。

      
    p188 聖イシュトバーン大聖堂    p189 ホテルからスーパーへの地図


 スーパーは、大聖堂から少し南に下ったエリザベート広場の北側の道路を隔てた向かい側の角にあり、ハンガリーの代表的なスーパーチェーンのひとつである "CBA" の店舗(p190)でした。日本のコンビニの2倍程度の店舗面積ですが、乾きものの他、新鮮な果物や肉類、乳製品なども置かれていました。もちろん、クレジットカードでの支払いが可能です。
   
    p190 スーパーの入口


 N子は、昨日の "みやげもの屋" で興味を持った "パプリカパウダー" を探します。"パプリカパウダー" には唐辛子のように辛いタイプ(ホット hot)と、品種改良で造りだした辛くない(スイート sweet)タイプがあると、ガイドさんから聞いていたので、スーパーの店員さんに "hot or sweet ?" を繰り返し尋ねて、何とか辛くないタイプを入手できました。"みやげもの屋" で、3ユーロ(約400円)だった40gの袋入り(p191)が、ここでは僅か229フリント(約100円)でした。N子も大興奮です。他にも、お買い得と思えるジャムやお菓子などを沢山、買い込んでホテルに戻りました。

   
    p191 購入したパプリカ・パウダー


 帰国してから、グルメ探検を趣味にされている方のブログ R923Eの海外食べ歩き+α ( http://r923e.blog109.fc2.com/blog-entry-521.html )などで、私たちが購入したパプリカパウダーは、Kalocsai地方にあるハンガリーの最大手メーカーの製品であること、辛い(hot)タイプは csipos(iとoのウムラウトは省略)というハンガリー語で「辛い」を意味する単語がパッケージに書かれていることなどを知りました。またパウダーの粒の粗さによって、CSEMEGE(粒子が細かいタイプ) と EGESNEMS(粒子が粗いタイプ)の2種類があることも分かりました。私たちが購入したのは CSEMEGE で、口当たりが柔らかで料理に直接振りかけても良いし、煮込みやスープなどに混ぜても美味しいようです。

[ 空港へ ]
 バスでブダペスト空港(p192)に向かう。壁があちこち剥がれ落ちたアパート(p193)や、つつましい風情の民家(p194)など、素朴なハンガリーの風景ともお別れです。
        
   p192 ブタペスト空港   p193 壁が剥がれたアパート    p194 ハンガリーの民家


 空港のルフトハンザのカウンターでは、毎度のことですが「N子と二人でサイド・バイ・サイドで、かつ私は頻繁にトイレに行く必要があるので、通路側に・・」と繰り返します。カウンターの女性スタッフからは、珍しく「OK!」の返事があって、確かにブダペスト→フランクフルト、フランクフルト→東京のいずれも通路側の座席が確保できました。「通路側に・・」という私の "お願い" が功を奏したというより、予約レベルが「K」だったのが幸いしたのだと思いますが、お陰で、機内ではアルコール(p195)がたっぷり楽しめました。

   
   p195 ヴァルシュタイナー(ビール)



< エピローグ >
 ほんの思いつきで参加した団体パック旅行でしたが、ドレスデン、プラハ、チェスキークルムロフ、ウィーン、そしてブダペスト、いずれも、ゆったりと流れる「大河」と一体になって造り出される景観は、想像を遙かに超える美しさでした。歴史音痴で、その地政学的/文化的な背景については全く無知の私でしたが、中世にタイムスリップしたようなその美しい景観の中に、ただ佇むだけで満足できました。EUが経済的に復活して、この景観が長く維持されることを切に祈りたいと思います。

 どの都市も「歴史地区」は、バスの乗り入れが禁止されていますので、ツアー客は必然的に徒歩での長距離の移動を余儀なくされます。この地域の団体ツアーへの参加を計画されている皆さんには、シューズの適切な選択と併せて "歩く練習" をして足腰を鍛えておくことをお薦めします。              ( 記 2016.6.17 ) 



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