糞新聞朝日:鎮魂の八月は断末魔への分岐点   2014.8.18    



 慰安婦問題でコアの購読者から愛想を尽かされ、「誤報取り消し」という賭けに出た(5日)糞新聞朝日だったが・・。産経・FNNが実施した世論調査(8/8,8/9)では、朝日の慰安婦報道の検証は不十分とする回答が70%を越え、フジテレビ系のニュース番組「新報道2001」の世論調査(8/7)では、朝日の慰安婦報道が日韓関係を悪化させたとする人が60%に達したという。その後も「朝日は廃刊にすべき(櫻井よし子氏)」、「朝日への広告は止める(アパホテル 元谷代表)」、「誤報放置は犯罪行為(元NYT紙東京支局長 ヘンリー・ストークス氏)」と批判の声はやまず、これに週刊誌が追い打ちをかける。18日発売の「週刊ポスト」(慰安婦の大虚報 朝日新聞の重罪)と「週刊現代」(日本人を貶めた朝日新聞の大罪)には、揃って糞新聞の大嘘の特集記事が掲載されている。さらには、与党自民党に、朝日の慰安婦報道をきっかけに世界に拡散した「強制連行」のイメージを払拭するための新たな政府談話を策定しようという動きがある(8/16付読売新聞)という。糞新聞の一か八かの賭けは、完全に裏目に出たようだ。


      
  週刊誌も取り上げ始めた
  慰安婦誤報



 ところが、この糞新聞、原爆と終戦の日を迎える「八月は自分の月だ」とでも誤解している風で・・ 頗(すこぶ)る勇ましいのだ。12日の社説「日本と中韓 異常な外交に終止符を」では、コリアによる根拠のない対日批判には全く触れず、チャイナの卑劣な挑発を非難することもせず、日本政府に対してだけ、相も変わらず上から目線で「首相はじめ日本の指導者は靖国神社への参拝は慎まねばならない」と具体的な行動まで指示するのだから呆れる。「靖国問題も朝日が仕掛けた」という事実を国民の多くが知りつつある現状を認識した上で、あえてこのような記事を書くのだ。糞新聞の「くそ」たる所以はここにある。



 翌13日の社説「戦後69年 歴史を忘れぬ後代の責務」も傑作だ。英国の歴史学者R・オズボーン氏の「歴史は、ときに忘れられ、忘却からよみがえり、書き換えられる」の言葉を引用して「連想されるのは、中国である。日本による侵略の歴史を語ることは、友好関係を最優先とした80年代まで抑えられていたが、90年代以降、強調されるようになった。関係が悪化した最近はなおさらだ。中国の発展に日本が貢献したことなど、なかなか触れられることはない。そんなやり方にうんざりする向きもあろう・・」とまでは書くのだが、何故チャイナが90年代以降に「日本による侵略の歴史」を強調するようになったかの歴史的経緯については一切触れない。そしてこう続けるのだ「だが相手に注文をつける前に、まずは、わが国について省みよう」と。そして1993年の細川護煕以降、歴代の首相が「バカの呪文」のように繰り返してきた「8月15日の懺悔の言葉」を、昨年の戦没者追悼式で安倍晋三さんが取り止めたことを詰(なじ)り、さらにはチャイナが「日清戦争の敗北を軍備拡張の正当化のために利用している」ことを批判するかのように装いながら、結局は「このような議論に、こちらのほうから現実味を与えるわけにはいかない。そのためにも69年前の反省をきちんと掲げ続けなくてはならないのである」と結んでしまうのだ。日本が侵略の歴史を忘れずに一方的に懺悔を繰り返せば、チャイナが心変わりをして日中関係が好転するかのように説教を垂れるのである。この糞新聞は、チャイナと日本の戦後外交史を全く「忘却」してしまったようである。冒頭のオズボーンの言葉は、どこに行ってしまったのか。糞新聞に言いたい。社説にはそれを書いた編集委員の署名を入れろと。クオリティペーパと呼ばれた時期もあった朝日だ。署名記事にすれば、もう少し、ましな社説になるだろう。

 

 15日の社説「戦後69年の言葉 祈りと誓いのその先へ」にも度肝を抜かれた。9日の長崎での平和祈念式典で被爆者代表として登壇し、原稿になかった「今、進められている集団的自衛権の行使容認は、日本国憲法を踏みにじった暴挙です」という言葉を発した城臺美彌子(じょうだいみやこ)さんを絶賛するのだ。「アドリブで発した、腹の底からの怒りのこもった言葉が、粛々と進行していた式典の空気を震わせた。・・・まさに言葉の力である」と。ところが、この「城臺さん」は、中核派系の反核・反原発活動団体「NAZEN ナガサキ」の結成発起人で、あちこちで開催される反原発集会で講演を繰り返しているバリバリの活動家でもある。糞新聞は「アドリブで発した・・」と言うが、大嘘だ。周到に準備され、安倍晋三さんを貶めるために意図的に発せられた言葉であることは間違いない。「NAZENナガサキ」のホームページには、「安倍をともに倒そう!集会 実行委員会」が主催する「反安倍集会」の「ABE TAO SE」(安倍倒せ)と大書された下品なポスター(p1)が躍っている。「安倍嫌い」の活動家である城臺さんとそのお友達が仕掛けたものであることが容易に理解できる。被爆地で開催される平和祈念式典には、「平和の実現」という目指す方向は一つでも、色々な政治思想を持った人々が参集する。だからこそ、式辞の内容は普遍的なものが求められる。式典を自らの政治的主張の発露の場にしてはならないことは自明だ。こんな常識も持ち合わせていないらしい「城臺さん」は、元教員だという。元日教組メンバの反核活動家が仕組んだアジ演説を絶賛する社説を書いてしまった編集委員は、「ABE TAO SE」の素敵な言葉に自制心を失ってしまったのだろうか? 糞新聞もここまで堕ちたのか。


     
  p1 直情的ですね・・   首切りの安倍とは・・?



 16日の社説「日本と韓国 − 国交半世紀に向かって」では糞新聞朝日の傲慢さ・強情さを、これでもかと言うほどに見せつけてくれる。光復節の演説で、慰安婦問題での日本の譲歩を執拗に要求するクネクネ大統領に対して、糞新聞は、またしても「日本の誠実な対応」が必要だと宣うのである。「対日関係は慰安婦だけか」の見出しを掲げて、クネクネ大統領を一方的に批判した読売新聞の社説とは、正反対である。日韓関係を取り返しのつかない状況に陥れた朝日新聞自らの責任には一切言及せずに、平然と両国の首脳に対して「いまこそ真のリーダシップを見せてほしい」と説教を繰り返すのだ。抱腹絶倒とは、このことだろう。糞新聞は、もう、どうしようもない「くそ」なのだ。


 自宅近くのショッピングセンターにある小さな書店の雑誌コーナは、かっては「諸君」、「WiLL」、「Voice」、「SAPIO」、「正論」などの「右寄り」とされる雑誌は、発行日にほんの数冊が置かれているだけだったが、いまでは10〜20冊が山積みされている。それが、数日を経ないうちに無くなってしまうのだ。図書館の「嫌韓・嫌中」本も一桁台の予約順位で借りられるものは少ない。「嫌韓・嫌中」本や、雑誌・新聞の「対韓・中関係」特集を通じて、糞新聞朝日の罪業が広く日本人に知れ渡った。チャイナやコリアからの謂われのない日本批判が、逆に自虐史観に脳みそを冒されていた日本人を覚醒させた。狂った隣国との関係が悪化すればするほど、糞新聞の過去の大罪が国民の頭に刷り込まれていくのだ。この八月は、糞新聞が断末魔へ向かって確実に歩み始めた「月」として記憶されるだろう。


 糞新聞の社説は、「大嘘つき」がどういう喋り口で国民を騙すのかを知る上で恰好の教材になります。ネット配信される朝日の記事は、無料閲覧のメンバ登録をしておいても、数回読むと「制限回数を超えました」ということで「金払えページ」に強制的に飛んでしまいます。しかし、社説だけは、当日であれば無料で閲覧ができます。糞新聞に「ビタ一文」渡さずにネットで読むことができます。150円返せ!と絶叫する必要もありませんよ。



 断末魔の朝日の社説を何時読むかって? イマでしょう。ほんと、イマだけですよ皆さん。アハ。




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