嘘だらけの「百済歴史地区」の世界遺産登録    2015.6.24    



 梅雨たけなわ。「雨がしとしと降れば・・」は完全に昔話になったようで、今どきの梅雨はゲリラ豪雨だらけだ。上空に寒気が張り出して雷雨を誘うのだから、少しは涼しくなってもよさそうなものだが、今日もムシムシと暑い。上半身素っ裸になっても背中には汗がじっとりと滲んでしまう。


 巷間には、相も変わらず安倍晋三さんに対するヘイトスピーチ/ヘイトアクションが溢れている。わが家の郵便受けにも赤旗の記事をそのまま転写しただけの「・・・九条の会」のチラシがこれでもかと言う具合に押し込まれている。暇を持て余した左巻き連中の嫌がらせには辟易する。


 「辟易する」と言えば、「明治日本の産業革命遺産」の世界文化遺産リストへの登録を阻止しようとする隣国南コリアの妨害活動の執拗さにはホトホト呆れてしまった。まさに「ク●チ●●コ」という形容が相応しい異常さだった。今日24日付の朝鮮日報電子版(日本語版)は、韓国外交部の尹炳世(ユン・ビョンセ)長官の直近10日間の動きを次のように伝えている。「・・尹長官が10日前、ドイツを訪れた。今年に入って2度目のドイツ訪問だ。ドイツの外相と会談した翌日、尹長官はクロアチアを公式訪問した。韓国の外相がクロアチアを訪れるのは、1992年に両国が国交を樹立して以来初めて。続いて尹長官は米国に向かった。ワシントンDCで韓米原子力協定に署名するというのが、米国訪問の理由だった。しかし尹長官はワシントンに直行せず、あえて1日時間をつくり、先にニューヨークを訪れた。ここに滞在しているマレーシアの外相と会うためだった。実際、韓国とドイツの間には、4ヶ月で2度も訪問せねばならないほどの緊急の懸案はない。クロアチアやマレーシアも同様だ。尹長官が3日間で3ヶ国を回り、3ヶ国の外相と会うという異例のスケジュールを組んだのは、今月28日からドイツのボンで開かれるユネスコ(国連教育科学文化機関)世界遺産委員会(WHC)のせいだった。(原文のまま)」 つまり日本の世界文化遺産登録を阻止することだけを目的に、こともあろうに一等国を標榜する南コリアの外務大臣が、投票権を有するWHC委員国に自ら直訴を繰り返したのだ。


 ところが、21日、直訴行脚の果てにたどり着いた日本で、尹長官はその態度をガラリと変えてしまうのだ。登録の妨害どころか、一転して「登録を目指して日本と南コリアが互いに協力する」という約束を日本政府との間で取り交わしてしまったのである。事前に南コリアに派遣された外務省の杉山審議官の「脅し」が功を奏したと解説する人がいる一方で、米国務省が尹長官に圧力を掛けたためだと分析する御仁もあるようだ。いずれにしてもこの一件は南コリアの完敗に終わったのだが、私にとって、どうしても解せないのが、「明治日本の産業革命遺産」と南コリアの「百済歴史地区」の二つの世界文化遺産候補が抱き合わせで、「登録を目指して互いに協力する」ということになったという決着の仕方である。


 「百済歴史地区」もこの5月にICOMOSが世界遺産に登録するようユネスコに勧告しているが、日本政府がICOMOSによる審査の過程でこれにイチャモンをつけた事実はない。ところが、南コリアは「登録決定にあたって日本の協力を得たい」と、日本国民にとっては唐突ともいうべき態度を示したのである。何故「百済歴史地区」が突然、抱き合わせの材料として登場したのか? この疑問が消えないのである。


 コリアンには奇妙な性癖がある。「脛(すね)に傷を持つ」案件には、異様なほど防衛本能を働かせるのである。竹島が良い例だ。竹島は現在、南コリアによる実効支配下にある。静かにこの状態を維持すれば良いものを、コリアンは「ドクトは我が領土・・!!」とひたすら喚き散らし、騒ぎ立てている。武力で強奪するかたちで不法占拠したという後ろめたさがあるからだ。慰安婦問題もしかりだ。次から次に新手の嫌がらせを仕掛けてくるのは、慰安婦をかき集めたのは朝鮮人の女衒であり、慰安婦本人は十分な金銭的報酬を得ていたという紛れもない事実を彼らが認識しているからである。「こうあらねばならない」という身勝手な妄想によって構築した歴史ファンタジーの「嘘」が日本人によって暴かれることを心底から恐れるのだ。南コリアが世界文化遺産リストへの登録を目指している「百済歴史地区」についても、日本側の「口封じ」に躍起(やっき)になっているところをみると、登録申請の背後に何か疚(やま)しいところがあるに違いないという疑念が湧いてくる。


 「百済歴史地区」は、忠清南道公州市の公山城・宋山里古墳群、扶餘郡の宮北里遺跡・扶蘇山城・陵山里古墳郡・定林寺址・扶餘羅城、全羅北道益山市の王宮里遺跡・弥勒寺址の9ヶ所から構成されている。このHPの「ゴロニャンの復活 」にも書いたとおり、かって「百済」が存在したとされる全羅道から忠清南道に至る一帯と慶尚南道の一部には、百済が建国される以前から、当時チャイナから倭国と呼ばれた日本が進出して、この地域を実質的に支配していたことを示す多くの遺物や資料が存在している。従って、コリアンが念仏のように唱える「先進文化はすべて朝鮮半島の百済を経て、当時未開で野蛮だった倭国に伝えられた(朝鮮が日本に『先進文化』を教えてやった)」というストーリは単純には成立しないということが常識なのだ。


 前述の「宋山里古墳群」の第7号墳は、百済中興の祖と呼ばれる「武寧王」とその王妃の墓だと云われている。この武寧王は、日本書記によれば九州筑紫の加唐島(かからしま)で生まれて直ぐに百済に帰国したとあるが、日本に生まれ、人質として日本で成人し、齢40を越えてから半島に渡って磐井氏などの九州北部勢力を背景に百済の王位についたという学説もあるのだ。また宋山江流域では日本型の前方後円墳が多数(13基)発見され、さらには、益山市の笠店里古墳から出土された遺物が半島在来の形式のものではなく、熊本県玉名市の船山古墳から出土した遺物と同一形式であることなどの研究成果が次々と生まれている。百済の歴史は、日本による百済への政治的・文化的影響に関する考察を抜きにしては語ることはできないのだ。


 ネットにあたって「百済歴史地区」の世界遺産リストへの登録をユネスコに勧告したICOMOSの報告書(2015
Evaluation of Nomination of Cultural and Mixed Properties to the World Heritage List WHC-15/39.COM/INF.8B1
) ( http://whc.unesco.org/archive/2015/whc15-39com-inf8B1-en.pdf#search='whc1539cominf8B1en.pdf' )を見つけ出して早速チェックすると、驚くべきことに(というより「案の定」というべきか)、百済地域に及ぼした日本の影響についての言及は全く存在しないのだ。一方で、In the mid-6th centuries the Baekje introduced Buddhism to Japan 
where it was adopted by the royal family. (6世紀中葉、百済は日本に仏教を伝え、日本で仏教は皇室によって受け入れられた) ・・・the Baekje invited craftsmen from the Chinese southen dynasties and later sent its own 
craftsmen to Japan.(・・百済はチャイナ南部の王朝から職人たちを招き、その後、百済の職人たちを日本に送った)とコリアンが゙日頃から主張している定番ストーリは、しっかりと書かれているのだ。


 登録審査の現地調査を行ったICOMOSの専門家も、百戦錬磨の大嘘つきのコリアンたちに、コロッと騙されてしまったのだろうか? まさに唯我独尊のコリアン歴史ファンタジー全開だ。あげくは、Ancient Nara, the Japanese capital 
from 710-784 ・・・ is said to be modelled on Tang dynasty cities in China and those of the Silla in Korea. 
(710-784 に日本の首都であった古代の奈良は、チャイナの唐王朝や、朝鮮の新羅の街々がモデルであると言われている)というとんでもない記述まである。奈良の平城京が唐の長安や北魏の洛陽をモデルにしたことは定説になっているが、新羅の都市を模したとは、全くの初耳である。コリアンは、何がなんでも「古代日本は朝鮮を模倣して発展した」という『神話』を成立させたいのだ。
だからこそ「百済歴史地区」の世界遺産登録に向けた解説資料の「嘘」が、日本側からの指摘によって暴かれて、この『神話』が崩壊してしまうことをコリアンは恐れていると私は分析する。

 「百済歴史地区」が唐突に登場した背景がようやく理解できたようです。


 「武寧王は、半分日本人みたいなものだ。これに触れていないのは何故か?」と日本の歴史学者が「疑義有り」のコメントを発すれば、コリアンを忽(たちま)ち火病に罹患させてしまうことができるのですが・・、コリアンに媚びて「任那日本府」を葬り去った日本の左巻きの歴史学者たちには、そんな大それた行動がとれるはずはないのでしょうね。保守の先生方もバカバカしくて、こんな問題には係わってくれないでしょう。本当、残念ですね。


 余談ですが、百済歴史地区の益山市の遺跡の写真を南コリアのメディアが紹介していました。私にはこの石垣が1500年以上昔の百済時代のものとは、とても思えません。TVドラマ「・・チャングムの誓い」のチェ一族の女親分の台詞(せりふ)にあった「・・証拠が無ければ造ればよい」のコリアンの常道をここでも実践してしまったのでしょうかね? 
ウップ。
 
 
                          
      これが百済時代の遺物?
      どう見ても近代土木工事技術の「産物」ですよね。  




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