売国議員 水岡俊一(みずおか しゅんいち) の正体
 
                                                                              2016.5.30
   



【 日教組と国会議員 】

 それは、私が中学一年生だった昭和37年の秋のことである。国語担当のT教諭は授業の後半になると、きまって兵隊時代に上官に散々に殴られて、血まみれになり、殺されかかったという話を仕始める。黒板に「皇軍」という文字を大書して、天皇が統率する軍隊である帝国陸海軍がいかに残忍で無慈悲であったかを、まるで講釈師のように極めてリアルに語るのである。教室は静まりかえり、私たちは、それこそ背筋が凍りつく思いでT教諭の話を聴いた。

 ある日、ひょんなことから親父の善次郎にT教諭の話をした。親父は即座に「おかしいな、Tは肺病だったから、軍隊には行ってねえけどなぁ・・」、「同じ肋膜だったうちのZ(親父の弟)は、昭和20年になって召集されたけど、Tは行ってねぇーぞ」と答えた。そして続けた「あいつ(T)は、共産党だから嘘をつくのはお手のものだからな。ハッハ」。大東亜戦争の最中、どの家の誰が召集されていない(軍隊に行っていない)かは、地域住民にとって重大な関心事だった。支那事変を含めて三度も召集されている親父が "召集されなかった男" を間違えるはずがない。T教諭は作り話をしていたのだ。まだ "素直" だった私にとっては、苦い秋になった。

 その数年後、T教諭は肺結核が再発して療養所に入ったと人づてに聞いた。Tが日教組(日本教職員組合)の積極的な活動家であることを知ったのも丁度その頃だった。Tを始めとする日教組の配下の教師達が「国家としての日本」と「天皇」に対する嫌悪の感情を私たちに植え付けようと躍起になっていたのは間違いなかった。私たち団塊の世代は、彼らの偏向教育の恰好の餌食であり、最大の犠牲者だった(p1)。国語教師だったTの偏向のせいで私は中学の二年次の秋まで、日本語の「主語」と「述語」の意味するところを知らなかったが、幸いにも、そのTのウソを知ったお陰で、左巻きに洗脳されることは免れた。
            
            p1  日教組の反日教育の犠牲者たち

 半年近く前になるが、週刊新潮(2月18日号) [ http://www.dailyshincho.jp/article/2016/02230405/ ] が、日教組の教研集会(教育研究全国集会)への潜入ルポを特集記事(p2)として掲載した。「安倍政権を断罪し、天皇の戦争責任を問い、科学的評価を無視して放射能への不安を煽る。かと思えば、女子高生のスカート着用に反対する − こんな新左翼のプロパガンダまがいの偏った主張が、先生たちが発表した日常の授業風景の中にてんこ盛りだったのである」と週刊新潮は衝撃的にレポートしている。

 あの私にとっての苦い秋から半世紀余が経過し、その間に日教組を構成していた共産党系グループが全教組(全日本教職員組合)を結成して離脱し、社会党系だけになった日教組が "連合(旧総評系)" の有力単産を形成するなど、組織的に若干の変化はあったものの、日教組自体の反日左翼としての偏向体質は今日まで全く変わっていない。

 日教組は現在、日本民主教育政治連盟(日政連)に所属する議員を組織内候補として推薦して国会に送り込み、"連合" を構成する単産の中でも大きな政治的影響力を有している。有力議員としては、民進党に所属する横路孝弘、輿石東、神本美恵子などがいる。参議院議長の座にまで上り詰め参院のドンと呼ばれた輿石と、元民主党副代表の神本は、日教組出身の元教諭である。横路は日教組出身ではないが父親の横路節雄が北海道教職員組合(北教組)の結成に携わっており、日教組の組織内議員として大きな影響力を維持している。輿石東や北教組の恐るべき罪業については阿比留瑠比氏の「民主党と日教組」(平成22年 産経新聞出版)(p3)に詳しく解説されている。

        
   p2  日教組の反日教育についての記事(週刊新潮)      p3 日教組の解説本
 


 そして私の地元である兵庫県にも、日教組出身のとんでもない売国議員がいた。その男の名前は "水岡俊一(みずおか しゅんいち)"(p4) である。
               
               p4 水岡の宣伝チラシ


【 水岡俊一とは 】

 "水岡俊一" は、民進党に所属する兵庫県選出の参議院議員である。本人の公式ウェブサイトのプロフィールによると、教育大学の教員養成課程を卒業後、兵庫県内の中学校に教諭として勤務した後、日教組配下の単位組合(単組)である兵庫県教職員組合(兵教組)の三美支部で組合活動に参加している。

 その後は、兵教組東播地区専従役員、兵教組本部執行役員、兵庫県学校厚生会次長、兵庫教育文化研究所事務局長、兵教組本部書記次長、兵庫教育文化研究所副所長と、兵教組内の出世階段を駆け上がった末に、2003年に引退を表明した "日教組出身の売国議員 本岡昭次(民主党 当時)" の後継者に指名されて、翌2004年の第20回参議院議員選挙に出馬(兵庫県選挙区)した。選挙では、幹部の年金未納問題で自民党に逆風が吹いた上に、二大政党制への期待ムードも重なって民主党が躍進し、水岡は初出馬でトップ当選する幸運に恵まれた。さらに民主党がその無能ぶりを遺憾なく発揮して国民の信頼を失った後も、日教組と連合の強力な支援をバックに辛うじて参議院議員としての二期目の座を維持している。

 すなわち、水岡俊一という男は、成人してからの人生のほとんど全てを教職員組合という極端な反日左翼組織の中で費やし、その異様な闇の世界をしぶとく生き抜き、伸(の)し上がり、さらにその組織を利用して国会議員の座にまで上り詰めた "日教組体質の権化" とも言うべき男である。民進党内では、極左議員だらけの集団である横路グループに所属している。


【 確信犯としての売国体質 】

<米国下院の反日議員 マイク・ホンダに共鳴>
 水岡俊一の名前が世間に初めて知られるようになるのは2008年のことである。この年の1月、米国カルフォルニア州選出の下院議員マイク・ホンダが議員交流を目的に来日した。ホンダは選挙区にコリアン・アメリカンの有権者を多数抱え、米国の下院議員中でコリア系住民などから最も多額の政治資金を集めた議員として知られており、コリア系やチャイナ系の米国人の要請に応じて、日本政府に対して慰安婦への謝罪を要求する決議案(下院121号決議)を米下院に提出して2007年7月に可決させている。選挙での"票"欲しさに、自分の祖父母の母国を貶めて懲りない自称日系アメリカ人である。

  この下院121号決議の冒頭には、"日本政府による強制的な軍隊売春制度「慰安婦」は、「集団強姦」、「強制流産」、「陵辱」、「身体切断・死亡・自殺を招く性的暴行」など、その残虐性と規模において前例のない20世紀における最大の人身売買のひとつである"( the "comfort women" system of forced military prostitution by the Government of Japan, considered unprecedented in its cruelty and magnitude, included gang rape, forced abortions, humiliation, and sexual violence resulting in mutilation, death, or eventual suicide in the largest cases of human trafficking in the 20th century )などと、まさに "コリアン的妄想" の成れの果てとでも言うべき、驚愕の文言が盛り込まれている。

 常識的な日本人であれば、「旧日本軍が朝鮮人婦女子を所謂慰安婦として強制的に連行した事実はない」こと。そして「自称慰安婦たちは "性奴隷" と見なされるような状況にはなかった」ことを明白な事実として理解している。121号決議は日本人にとって、末代まで累が及ぶ恐れがあるとんでもない濡れ衣なのだ。

 ところが、水岡俊一は当時の参議院議長の江田五月や、先輩の売国議員である前出の神本美恵子、共産党の紙智子・仁比聡らと共に参議院にマイク・ホンダを迎えて、下院121号決議に対して「敬意」を表し、和やかに懇談したという。驚くべき "売国" ぶりである。水岡自身のウェブサイトに、わざわざホンダとの懇談の様子が活動成果として写真入りで報告されている(p5)ところをみると、慰安婦問題での水岡の売国姿勢は "確信犯" と考えて間違いない。日教組という反日分子だらけの特異な世界で育った人間の成れの果てがどうなるかを水岡は、私たちに明快に教えてくれている。

    
       p5  ホンダと懇談する売国議員たち

 ホンダの参院訪問の様子は1月9日付の「しんぶん赤旗」に掲載された。ホンダ訪日は、保守系の日本人に水岡俊一が、輿石東や神本美恵子と並ぶ "売国議員" として広く認知される契機になった。


< 慰安婦問題への執着 >
 稀代の詐話師 "吉田清治" の作り話を、慰安婦問題での狂信的活動家であるコリアン女性の娘を妻に持つ朝日新聞記者(当時) "植村隆" が誇張を交えて意図的に拡散したことを発端に、国際問題にまで発展した所謂慰安婦問題は、宮沢喜一や河野洋平などの売国政治屋がコリアンに対して一方的に謝罪すると同時に、日本側で設立した民間基金から補償金を拠出することで1997年までに日本側の「償い」は完了したはずであったが・・・。慰安婦問題を、日本を貶めるための外交カードとする南コリアは執拗に問題を拗(こじ)らせ続け、これに民主党や共産党などの売国議員が同調し、水岡俊一の "先代" にあたる兵庫県選出の日教組議員 "本岡昭次" 等が発議者となって、2000年4月に「戦時性的強制被害者問題解決促進法案」が国会に提出された。

 法案の内容は日本政府に対して "被害者" への謝罪と、名誉回復に必要な措置を講じることを義務づけるものであったが "被害者" の範囲に何故か肝心の日本人女性が含まれていない "爆笑もの" の法案であった。法案は2008年までに8回に渡って国会に提出されたが、当然のことながら、いずれも審議未了により廃案となった。

 法案提出10周年を迎えた2010年4月、執念深い売国議員たちが参議院会館に集合して「民主党が政権奪取した今こそ法案成立を・・」と、気勢を上げるための記念集会を開いた。集会は、証言がコロコロと変わるためネットで "ウソつき婆さん" とも揶揄されている自称慰安婦の "姜日出(カン・イルチョル)" のほか、ジュネーブ(国連事務所)に暗躍して "性奴隷" の呼称を世界に浸透させた売国弁護士 "戸塚悦朗"、戸塚とタッグを組んでクマラスワミ報告の拡散に躍起になっている "日本の戦争責任資料センター" 代表の "荒井信一" など慰安婦問題での反日プロフェッショナルが勢揃いした盛大なものだった。もちろん、水岡俊一も現職の参議院議員として集会に参加している。

 JRCL(日本革命的共産主義者同盟)の機関誌である "週刊かけはし" ( http://www.jrcl.net/frame10053d.html )は、水岡俊一が同集会に参加して「法案成立への強い思いを語った」とレポートしている。 水岡は性根の座った売国政治屋なのだ。


<チャイナの反日宣伝に与して>
 2009年5月、水岡俊一と同じ民主党(当時)の横路グループに所属する自治労出身の極左議員 相原久美子がチャイナの遼寧省撫順市を訪問し "平頂山事件" の記念館などを見た後、同事件の生存者と自称する三人に面会した。このとき相原は、「生存者三人に公式の謝罪などを日本政府に求めていくことを約束した」と朝日新聞(2009/5/7付)は伝えている。

 平頂山事件は1932年9月15日に、撫順炭鉱の民間日本人居住区を反満抗日ゲリラが襲撃して炭鉱所長を含む11名を死傷させたのを誘因として、日本軍が当該ゲリラと通じていた平頂山村を掃討し、村民400〜800人を殺害したといわれる事件である。

 当時、事件は新聞報道され、国際連盟でもチャイナの国民政府代表が問題提起したが、日本側の掃討作戦の一環である旨の主張によって収束している。終戦後間もなくチャイナ側(国民政府)は、炭鉱関係者11人を逮捕したが、村民殺害の実行者である井上清一中尉(当時)など軍関係者を拘束することはできず、結局、事件に無関係と推定される久保炭鉱長(事件当時は次長)を含む7人を銃殺刑に処して事件の幕引きを行った。

 事件が世間に広く知られるようになるのは、稀代の反日記者 本多勝一による「中国の旅」が朝日新聞に連載された1971年以降である。南京事件などについての連載記事と同様に、本多勝一は、事件の日本側関係者に対する取材を一切行っていない。チャイナ側から提供された情報だけを根拠にした本多の記事は、当然にチャイナ政府の意向に一方的に沿うものであった。

 糞新聞朝日の報道で勢いづいたチャイナ側は、事件当時の村民の数が千数百人であったにも関わらず「3,000人が虐殺された」と主張を変え、殉難同胞遺骨館などの記念館を設置して反日宣伝活動の拠点にした。本多勝一の手によって事件が本来の姿を著しく変えて亡霊の如く蘇り、日本を貶める目的のためにチャイナ政府に利用されるという経緯は、"南京事件" 等と全く同じである。(詳しくは、2015/9/13付産経ニュース "反日プロパガンダ"に使われる「平頂山事件」の真実[ http://www.sankei.com/premium/news/150913/prm1509130026-n4.html ]などを参照ください)

 平頂山事件の解説が長くなってしまったが、売国議員 相原久美子の撫順市訪問は、中国通信社の日本語版ニュースサイト(2009/5/6付)で次のようにレポートされた。『相原氏は東京から来て、わずか30時間余りの滞在だった。目的は書状を手渡すことだった。書状は衆議院議員10人と参議院議員14名が署名した「平頂山虐殺事件」の生存者に対して謝罪するものだった。書状には、個人として、日本国民から選ばれた国会議員として、心から謝罪すると書かれていた』 つまり、相原は平頂山事件の三名の自称生存者に対して、公式の謝罪などを日本政府に求めていくことを約束しただけでなく、24名の国会議員の署名入りの謝罪文を手交したのである。

 南京虐殺記念館で土下座謝罪をしてネットを賑わした元民主党代表の鳩山由起夫のように、すでに世間から見放されている気狂いピエロのような元政治屋のパフォーマンスならまだしも、日本の現職国会議員が、事件の当事者であるチャイナと日本の間で見解が激しく異なって国家間の論争にまで発展している "歴史的案件" に関して、チャイナ側の主張に同調する文書を自ら起草し、しかもそれを論争相手国であるチャイナ側に手交してしまうなど常識的には起こりえないことである。しかし、相原のような売国政治屋の手に掛かると、これがいとも簡単に成就してしまうのである。

 署名した24名の国会議員の中には、水岡俊一の名前もある。水岡は、平頂山事件を第二の南京事件にしようと目論んでいるのだろうか。


【 議員としての無能ぶり 】

< "夢" を語って歓心を買うだけ >
 水岡俊一は、「公立高校授業料 "実質" 無償化」に繋がる "高校無償化法案" の発議者として知られている。"無償化法案" は、民主党(当時)が政権与党となった2010年3月に衆院文科員会での強行採決後、本会議で可決成立した。無償化・・は、立法府の議員としての12年間の政治活動の中で、水岡俊一が公言できる唯一の成果だろうと私は推測する。

 "民進党" の党名の発案者だと自画自賛している江田憲二が5/12付の BLOGS に『旧民主党政権の最大の失敗は、「財源なんかいくらでもある」(16.8兆円ねん出)と言いながら、「高速道路の無償化」や「最低保障年金」、「こども手当の創設」等の耳障りの良い政策」を並べたて、結局、その財源のねん出どころか、「社会保障と税の一体改革」という美名の下に、選挙で訴えてもいない消費増税に突き進んだことです』と書いている。

 旧民主党がマニフェストに掲げた政策は、財源不足で次々に破綻又は計画に達しない水準での実施に追い込まれ、優先的に取り組んだ「高校授業料"実質"無償化」だけが辛うじて実現できたことは記憶に新しい。しかし、水岡は法案の提出にあたって決定的なミスを犯している。それは江田憲二が分析したとおり、財源についての検討を御座なりにしたことである。財源不足のため無償化の実行と併せて所得税や住民税の扶養控除を廃止せざるを得なくなり、一部の家庭では、却って負担が増えてしまう事態が生じたことは周知の事実である。

 数日前、我が家の新聞受けにあった折り込みチラシの中に「民進」と書かれた民進党の宣伝紙が入っていた。近づいて来た参議院選挙を睨んでの宣伝チラシである。チラシの表側には「高等教育と非正規雇用の課題について・・みずおか俊一が解説します」と大書(p4) され、裏面には「民進党は、2010年の高校授業料の実質無償化(民主党政権時に実現)に続いて、高等教育(大学・短大・専門学校)への教育投資を増加させます」の宣伝文句と併せて、"返済不要の給付型奨学金制度の実現" や "貸与型奨学金の無利子化" など、破綻した旧民主党時代のマニフェストを思わせる甘い文言が並んでいる(p5)。ところが、給付型奨学金制度などを実現するのに必要な財源がどれほどで、何処からその財源を捻出するかについては、全く "解説" されていないのだ。

           
             p6  "夢" の公約が並ぶ水岡の宣伝チラシ


 有権者の歓心をそそる体裁の良い政治課題を公約として並べても、その課題の実現にあたってどのような障害が存在し、それをどのように乗り越えるかの見通しがなければ、それは公約ではなく単なる "夢" に過ぎない。それは政権与党の座にあった3年間にその無能ぶりを遺憾なくさらけだして奈落の底に落ちた旧民主党員が一番良く分かっているはずなのだが・・・。水岡のチラシには "課題解決を目指します" などと、まるでクソ餓鬼の決意表明ような言葉がシャーシャーと書かれている。水岡は議員としてのこの12年間に何も学んでいないようだ。いや元々、この男には立法府の議員としての "資質そのものが欠けている" と私はみている。


< 重要ポストでも能力不足を露呈 >
 事例を二つ紹介したい。
 旧民主党政権下の2011年9月、党代表選挙で野田佳彦の推薦人に名を連ねた水岡俊一は、野田新内閣の首相補佐官に抜擢された。党内融和の方針を掲げて非主流派からも広く人材を登用したといわれる野田内閣では、文科大臣政務官にも元日教組の神本美恵子が指名され、巷間は「日教組が文教行政の本丸である文部科学省や首相官邸に乗り込んだ」と大騒ぎだった。水岡の補佐官としてのミッションは「政治主導による政策運営及び国会対策」であったが、任命時の巷間の密かな "期待" に反して、水岡の "活躍" の話は全く聞こえてこなかった。それでも何かあるかも知れない・・と、水岡の公式ウェブサイトをチェックしたが、補佐官時代の活動については、『・・私もインドネシアへ総理に随行し、「ASEAN・・」と関係諸国との国際会議に出席してきました・・・』というコメントと会議場の写真が掲載されているだけだった。

 水岡の名前が再び世間を賑わすのは、2013年12月のことである。当時、民主党は野党となっていたが、水岡は参議院内閣委員長の職にあった。委員会をうまく切り盛りして政治家 水岡の存在をアピールする絶好の機会であったにも関わらず、何を血迷ったのか、水岡は政府(安倍政権)が提出した「国家戦略特別区域法案」の審議を意図的に遅延させるイヤガラセを働いたのだ。法案は日本経済の再生を賭けたアベノミクスの成否を握る重要法案であったことから、与党自民党の動きは素早く、参院本会議で水岡の解任決議案( http://www.sangiin.go.jp/japanese/gianjoho/ketsugi/185/131204.html )を可決させて、水岡を解任し、後任に山東昭子議員を選任した。野党の委員長が解任されるという事態は、衆参両院で初めてのことであり、前代未聞の珍事であった。


< 所詮は特定の組織に媚びる組織内議員 >
 首相補佐官や内閣委員長という自らの能力を存分に発揮できる機会を与えられても "資質不足" であるがゆえに右往左往している水岡の姿がみてとれる。水岡が政治家として、どれほど "能力不足" であるかを如実に示しているのが、本人の公式ウェブサイトである。ウェブサイトの「活動報告」は、立法府(又は行政府)の議員として本人が如何に活躍しているかを有権者に知ってもらうための重要なサイトのはずだが、旧民主党が政権与党にあった期間における水岡の政治活動についての報告はほとんどない。特に水岡が政権の中枢近くにいた2011年の9月から12月の活動報告をチェックすると、9月は "補佐官就任の決意表明"、10月は "米上院議員ダニエル・イノウエ氏との意見交換会に出席"、11月は無し、12月は前出の "インドネシアへ随行" と "誹謗中傷にあけくれる野党からの攻撃・・云々" の阿呆らしい愚痴だけである。

 水岡のウェブサイトには「兵教組の・・・に出席しました」、「・・労連の・・に出席しました」、「・・地区の・・行事に参加しました」など、自身の選挙区である地元兵庫県における支持者回りの毎日の様子だけが延々と綴られているだけで、水岡本人が自覚している政治課題や理想をどのように実現しようと奮闘しているかについては全く触れられていないのだ。連合とその有力単産である日教組の強力な支援が得られる組織内議員である水岡にとっては、自身がどれほど一生懸命に「支援者回り」をしているかを "組織" に知ってもらうことの方がはるかに重要なのだろう。これほど一般有権者をコケにした無能議員もめずらしい。


【 結 】

 ダラダラと書いた駄文に付き合っていただき感謝します。そろそろ止めたいと思います。日教組出身の売国議員であっても、「本人が "無能" なのだから、捨て置けばよい」と考えるのは極めて危険です。水岡のバックには日教組という恐るべき反日極左組織が厳然と存在しているのです。無能議員であるが故に、なおさら危険なのです。最善の対処策は、有権者としての一票を行使して、この売国・無能議員の息の根を絶つことでしょう。

 駄文を書き連ねながら水岡の顔写真(p6)を眺めていて、ひとつ気がついたことがあります。顔つきが誰かによく似ているのです。そう、あの "ニタニタ顔の男 "(p7)です。日本人としては、あのニタニタ顔の男だけは二度とゴメンですね。
アハ。
              
        p6 水岡のニタニタ      p7 ニタニタ顔の男




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