細川護煕:「投げ出し」男の都知事選出馬は日本の悪夢
                   
  2014.1.13 
 
 



 東京都知事選挙に、すでに政治生命を終えたはずの肥後の殿様「細川護煕」が立候補する意向を固めているというニュースを聴いて仰天した。我が家では、この「お殿様」を軽蔑の意を込めて「夜明けのスキャット男」と呼んでいるためだ。

 1993年の夏、その血筋ゆえか、当時日本新党のプリンスと評判の高かったこの「スキャット男」は、新生党の小沢一郎に担がれて、新党さきがけなどを含めた非自民連立政権の首班となり、所謂55年体制を崩壊させた。就任一週間後の終戦記念日には、現職の内閣総理大臣として初めてアジア近隣諸国に対する加害責任に言及して「哀悼の意」を表し、昨夏に安倍晋三さんが止めるまで続いた歴代首相による「終戦記念日の懺悔」の先鞭をつけた。当時、仕事に感(かま)けて、この男の本性を見抜けなかった私は、不覚にもこの「スキャット男」に期待感まで抱いてしまった。しかし、演説の際にプロンプターを使うなど、海の向こうのどこぞの大統領によく似た「ええ恰好しーだけの男」だと悟るまでに長い時間は要しなかった。


 糞新聞朝日がいつもぼやいている衆議院選挙での「小選挙区比例代表並立制」などを含む政治改革法案を成立させた翌月の「節分の日」の深夜(正確には翌日2/4の午前1:00)、小沢一郎や大蔵事務次官の斉藤次郎の口車に乗せられた「スキャット男」は、突然の記者会見を開いて消費税を福祉目的税に改め、その税率を3%から7%に引き上げる「国民福祉税構想」をぶち上げた。しかし、7%の根拠などについての記者団からの質問に答えきれずに検討不足をあっさりと露呈させ、未明の永田町は大混乱となった。夜明け前の記者会見で、まともな受け答えができず、意味不明の言葉を発し続けたが故の「夜明けのスキャット男」なのだ。


 その2ヶ月後、佐川急便から借りた1億円の未返済を国会で追及された「スキャット男」は、ご同輩の猪瀬元都知事もビックリ仰天するような頓珍漢な姿を国会で晒した末に、この問題の落とし前をつけずに唐突に辞任した。就任から僅か8ヶ月、自身のスキャンダルで政権を投げ出したのだ。不思議なことに、猪瀬氏が5000万円を巡って、知事辞任後も検察から執拗に追われているのと異なり、「スキャット男」には検察の追求の手は伸びなかった。検察と何らかの密約があったと勘ぐられてもしかたがない不可解な結末だった。


 さらに4年後、「還暦」に達したことを理由に、この「スキャット男」は議員辞職した。実質的に大東亜戦争への道筋をつけておきながら開戦直前に政権を投げ出し、結果として開戦の責任を東条英機に押しつけた祖父の近衛文麿と同様の轍を、その孫である細川護煕自身が踏んだという負い目を感じての辞職と私は解釈した。祖父に次いで、二代に渡って日本政治史に醜態を晒したこの男が自分の姿を巷間に現わすことは二度と無いだろうと私は思った。


 ところが、この無責任な「スキャット男」が脱原発を争点にして都知事選に立候補するというのだ。「還暦を区切り」に任期途中で引退したはずの男は、満76歳の直前に、再び世の中を誑(たぶら)かそうと決意したらしい。東京新聞によると、この男は「・・原発事故は日本の文明の在り方を問う『文明災』、倫理の問題だ。日本では政治家も官僚も倫理から逃げている」とほざいているという。小沢の傀儡と揶揄され、「1億円」の落とし前もつけずに敵前逃亡した男が「倫理」を語るとはおぞましい。


 「東シナ海を友愛の海に・・」と宣った小沢が担いだもう一人の男「ルーピー鳩ぽっぽ」もそうだったが、「日本の文明の在り方を問う・・」などと平気で口にするこの「スキャット男」も独特の手前勝手な美意識を持っている。こんな奴が一番厄介だ。「鳩ぽっぽ」で日本は散々に懲りたはずだ。万が一、知事になっても、どうせ投げ出すのだからなどと、高(タカ)を括ってはいけない。血税の無駄遣いと時間の浪費は計り知れない。ネット情報では、甘利経済担当大臣だけが「殿ご乱心」と諫めているようだが、自民党都議団は「エライことになった」などと大騒ぎする暇があったら、「1億円の件は、どうなった?」と大声をあげて、せめて公示前にこの男が得意のドタキャンをさせるべきだろう。


 スキャット男が出馬すれば、脱原発派の票が割れて、我らが田母神さんが漁夫の利を得るという観測もあるようだが、東京の有権者を甘く見てはいけない。「ニタニタ顔の男」(美濃部亮吉)を三期連続で当選させ、さらにはあの「菅直人」を未だに議員の座に就かせ、驚くべきことに、あの「山本太郎」にさえ80万票を与えて当選させた皆さんだ。夜の国会前デモで分かるとおり集団ヒステリーを起こすと手に負えない。スキャット男一人を集中攻撃して「投げ出させる」のが最良の策だろう。第一、陶芸家などと気取っている「スキャット男」が、偉そうに人前で演説をぶっている姿を想像するだけで、うっぷ・・吐き気がする。アハ。

 <東京人が愛する皆さん>

        
   ニタニタ顔の男     スッカラ菅        マル君             スキャット男       


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 あれは、三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊で割腹自殺をした翌1971年の春休みも終わりに近づいた4月の初め頃だった。所謂、貧乏人の小倅(こせがれ)だった私は、春の大出費(前期の授業料、教科書代、通学定期券代、そして毎日の昼食代)に充てる資金稼ぎが目的で、東京蔵前の文房具問屋でアルバイトに精を出していた。地方の文房具屋から電話で注文を受けた品目を倉庫の棚から降ろしてダンボール箱に詰め、午後の三時過ぎに集配にやって来る運送業者のトラックに引き渡すのが仕事だ。注文が遅れてトラックに間に合わなかった荷物は自転車に積んで、車だらけの「国際通り」(都道462号線)をフラフラと北に走って浅草の繁華街を抜け、トルコ風呂(今でいうソープランド)が立ち並ぶ昔の吉原遊郭街の近くにあった運送会社の集配所まで運んだ。転倒したら一巻の終わりという気が抜けないバイトだった。


 この問屋のご隠居(先代の店主)が面白い爺さんで、昼時になると休憩している私の横に座って、一頻りご時世について講釈を垂れるのだ。日米安保条約は大学キャンパスに大きな混乱をもたらさずに「自動延長」となり、暴力集団と化して世論の支持を失った学生運動屋の残党たちは地下に潜った。東京は間近に迫った都知事選挙で騒がしく、国際通りにもひっきりなしに宣伝カーが行き来していた。この年の都知事選は、ニタニタ顔で婦人層に絶大な人気があった現職の美濃部亮吉に対して、「柔和」と言うにはほど遠い人相の元警視総監、秦野彰が挑んだ選挙だった。ご隠居さんは、「美濃部の勝ちだな・・」と予想し、結果はそのとおりになった。秦野に100万票の大差をつける圧勝だった。結局、マルクス主義経済学者で政治経験が全く無いこのニタニタ顔の男が、社会党と共産党の支持を受けて3期12年の永きに渡って合法的に、日本の玄関である東京の支配者の座に居座(いすわ)ったのである。


 大東亜戦争に敗れ、進駐した米軍に強制された憲法改正案を受け入れた最後の帝国議会(1947年)の議員たちは、悔し涙を流しながら近い将来における日本人みずからの手による憲法改正を誓い合った。サンフランシスコ講和条約が発効して日本が独立を取り戻した1952年には、大戦後に戦犯として罰せられ、拘禁されていた人たちの「即時釈放」を呼びかける国民運動が起こり、4000万人の署名が集まった。翌1953年には、A級戦犯を含む全ての戦犯とされた人々を赦免し、その名誉を回復させる国会決議が、共産党や社会党を含む圧倒的多数で可決された。私が卒業した千葉の片田舎の小学校では、毎週月曜日の全校朝礼時に、週番の生徒の「国旗掲揚、国旗に注目!」の号令のもと「君が代」を歌いながら掲揚台に「日の丸」を揚げた。新築されたばかりの鉄筋コンクリート造りの私の中学校の屋上には、いつでも「日の丸」がはためいていた。高校の卒業式で祝辞を述べた校長の背後には、大きな「日の丸」が掲示されていた。こういった日本人として当然の行動や考え方、あるいは日本にとってあたりまえの風景が消え始める決定的瞬間は、何時だったのか・・? 最近になって、ようやく確信するようになった。それは三島由紀夫が自死した翌年、ニタニタ顔の男が「もう一つの日本の顔」を選ぶ東京都知事選でその二期目を史上最高の得票数で圧勝したこの1971年である。


 共産主義者である美濃部が首都東京を長期にわたって牛耳る事態となった衝撃は大きかった。この流れは一気に全国に及んで、多くの地方自治体の首長選挙で、社会党/共産党を支持母体とする候補者が次々と勝利し、一時は日本の総人口のおよそ半分が左翼の素人政治屋たちの支配下に置かれる事態に陥った。彼ら「革新統一」と呼ばれた知事や市長たちは、福祉政策に大金を投入するなどポピュリズムに傾斜する一方で、自らの支持者である自治体職員の待遇改善を積極的に進めて味方につけた。「市役所は給料が安いからな・・恩給が無かったらなり手はいないよ」という言葉が「昔ばなし」になったのは、この頃である。そして彼ら「革新統一」の左翼政治屋とその支援者たちは、政治に飽きて金儲けに熱狂する多くの国民を尻目に、驚くべきスピードで日本から「戦前」を消失させてしまったのである。


 日本の顔である巨大な首都「東京」のトップには、揺るぎない信念を持った保守派のタフな政治家が座らなければ、日本を取り戻すことはできない。これが戦後都政最悪の「暗黒時代」を築いたと言われる「ニタニタ顔の男」から学ぶべき教訓である。敵前逃亡の前科がある軟弱なナルシスト「夜明けのスキャット男」は、到底、知事の器では無い。


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