国会議事堂前に群がる「律儀者」たち      2015.9.3     



 雨が降って少しばかり涼しくなった8月30日、東京永田町の国会議事堂周辺のコンビニは「オシッコが・・」と駆け込んでくる大勢のジジババで溢れた。「総がかり・・」とか言う訳の分からない名称の俄(にわか)団体が呼びかけた安保関連法案反対デモに参加するために実数で約3万人(主催者団体発表では何故か12万人)の自称「市民」が議事堂周辺に集まったという。東京メトロの永田町駅のホームは、身動きができないほどの人で満杯になったが、駅員の絶叫が功を奏したのか大きな事故は起きなかったらしい。野党4党首も参加して、左巻きの皆さんにとっては画期的な大規模デモだったはずだが、毒舌の橋下大阪市長からは「こんな人数のデモで国家の意思が決定されるなら、サザン(・オールスターズ)のコンサートで意思決定する方がよほど民主主義(的)だ」と一蹴されてしまったようだ。

     
      極左に変身してご満悦の
     「イオン小僧」と「太郎の仲間」
     (産経新聞8/31付から転載)


 デモ隊の中核はもちろん自治労、日教組、国公連合などの現役バリバリ組や豊かな年金生活で暇を持て余した公務員OBなどのデモプロだが、我らが糞新聞朝日(8/31付)によると『喧噪の中心に学生団体「SEALDS(シールズ)」がいた』のだという。シールズと言えば、現役の隊員が出演したことで話題になった米映画「ネイビー・シールズ(Navy Seals)」でその活躍が紹介された米海軍特殊部隊を思い出してしまうが、こちらのSEALDSは、元祖とは正反対の戦争大嫌いを公言する軟弱学生たちが作った出来たてホヤホヤの団体らしい。産経新聞によると団体の中核メンバーである奥田某は、「憲法を守れ」、「勝手に決めるな」、「戦争反対」、「安倍はやめろ」などと、ラップ調で連呼するのが得意らしいが、安保法案反対の具体論については一切語らないのだという。

 デモに参加した音楽家の坂本龍一氏は、学生たちのラップの迷調子に酔わされた・・のか? 「・・フランス人にとっての『フランス革命』に近いものが、今ここで起こっている(8/31付産経新聞)」などと、爆笑級のとんでもない演説をしたようだ。政権与党時代の民主党のブレーンで、いまは北海道を捨てて田中優子ちゃん(法政大学総長)の子飼いの教官に成り下がった山口二郎氏も学生たちの勢いに押されてか・・? 「安倍は人間じゃない。たたき斬ってやる(8/31付産経新聞)」などと、猛烈ヘイト発言をしてしまったらしい。若者のエネルギーには分別盛りのジジイまで狂わせてしまう不思議な力があるようだ。

 糞新聞朝日(8/31付)は、SEALDSに同調してデモに参加した早大1年生の広内恒河(こうが)さんが、国会前の喧噪に対して「いつか教科書に載る景色ですね」と漏らし、「総選挙前に街頭演説をした安倍晋三首相が安保法制にあまり触れなかったのが疑問だった。『安保法案が後で出てきた。だますつもりだった』と思い7月から国会前に足を運んでいる」と語ったと書いている。

 安全保障関連法案のベースとなる考え方は「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障体制の整備について」の題目でまとめられ、昨年の7月に閣議決定された。この決定に怒り狂った反日メディアは連日、反安倍キャンペーンを扇動し、国会周辺では左巻きの集団ヒステリー患者による抗議デモが繰り返された。確かに昨年末に実施された衆院総選挙で自民党は「アベノミクス解散選挙」だと唱えたが、自らのマニフェスト(自民党重点施策2014)には、上記の閣議決定に基づいて「安全保障法制を速やかに整備します」と明記しているのだから、「争点ぼかし」を行ったのは明々白々だ。巷間は自民党のこの「ぼかし戦法」については百も承知で非難轟々で応えた。糞新聞朝日は「大義なき解散」を連呼し、野党民主党は、総選挙対応のマニフェストにわざわざ「集団的自衛権閣議決定の撤回」を実現させることを公約として書き込んでいる。

 早大生の広内恒河(こうが)さんが、デモ参加の理由を、安倍晋三さんが、『だますつもりだった』からと語ったと言う記事が糞新聞の捏造ではなく、事実であるとすれば、知的エリートであるはずの早大生が、上記の一連の騒動を全く知らなかったということであるから、まさに仰天ものだ。SEALDSに共鳴している学生の知的レベルはこの程度だということになる。

 月刊WiLL10月号に昔文藝春秋の編集長だった堤尭さんが相変わらず面白い記事を書いている。60年安保闘争当時、全学連委員長だったブンド(共産主義者同盟)の唐牛(かろうじ)健太郎氏に友人だった堤氏が「お前、日米安保条約の条文を読んでるのか?」と訊いたところ、唐牛氏は「ばか野郎、そんなもの読むか」と答えたらしい。同じくブンドの書記だった西部邁氏も条文を読んでいなかったという。日米安保条約の旧版の条文は、僅か5条だけだったのだが・・。60年安保世代の親分と慕われた唐牛氏や、後に東大教授になった西部氏にしてもこうであるから、両氏に比べてはるかに「反知性」的と推察されるSEALDSの奥田某の安保法案への理解度など推して知るべしだろう。それが故に、口から出てくるのはラッパ調のヘイト念仏だけなのだ。「喧噪の中心にいた」はずのSEALDSでさえこの有様であるから、国会を取り囲んだデモ集団の中で安保法制の中味を理解する人間などおそらく皆無だろう。しかし彼らは群れを成し、そして喧(やかま)しく咆哮するのだ。

 8/3付の読売新聞のコラム「地球を読む」に劇作家の山崎正和氏が「廃墟からの再起」と題して、先の大戦の開戦から戦後復興・高度経済成長、そして失われた20年に至る日本現代史の背景に「日本的律儀さ」があったと分析している。先の大戦を引き起こしたのは「一種の熱狂主義(ファナチシズム)であり、それが支えた扇情政治だった。・・それに妄信を注ぎ込んだのは大衆社会の狂気であり、近代人として未熟な不和雷同だった・・、(それ故に)日本人の前近代性、近代的自我の未熟を克服すべきだ」という従来からの主張(通説)に対して、山崎氏はこの主張は「特攻や玉砕を説明しても戦後の営々たる復興活動や日常への回帰を理由づけられない」と解説し、「日本的律儀さ」という倫理観を提起して「律儀さとは、・・世間の決まりには従うという心情にも通じ、悪くすると盲目の服従に見える弊害も引き起こす。戦争に召集された多くの庶民は死地に突進したが、それは興奮の余りというより世間の約束を守る意識から」だと分析して通説の修正を試みている。

 なるほどと思える興味深い分析だ。70余年前の対米開戦も、万歳突撃や玉砕の悲劇も、そしてオイルショック時にスーパーの店頭からトイレットペーパが消えたのも、さらにはバブル景気の騒乱、最近では新国立の騒動や五輪エンブレム問題での佐野研二郎氏への執拗な中傷も、すべて日本人に宿るファナチシズム(熱狂主義)の哀しい性(さが)によるものだと私は認識していたが、ファナチシズムだけでは山崎氏が指摘するように「日本軍人が、勅命とはいえ敗戦を一日で受け入れ、急速に平和な日常生活に復帰したこと」を説明できない。

 国会前で群れる集団ヒステリー患者たちに、この山崎氏の分析を当てはめてみると、彼らの多くは、戦争を忌避し、平和を希求することは善なる行為であると信じて疑わない「律儀者」なのかも知れないという仮説が思いつく。ひたすら平和を愛する律儀者にとっては、「日本と日本国民を守るためには戦いも辞さない」と世界に向かって宣言しようとする安倍晋三さんは、憎むべき「悪」そのものだ。彼ら律儀者にとって、その「不戦」の信念を揺るがす最大の障害は、核兵器を持つ独裁国家であるチャイナ/ロシア/北朝鮮の軍事的脅威とその覇権主義なのだが、これには目をつぶるのだ。それが見えてしまうと、「不戦」を実現できない状況に追い込まれてしまうから敢えて見ない。「不戦の誓い」への盲目的な服従の結果だ。だから彼らにとって軍事的脅威は存在しない。脅威が存在しないのだから安保法案など要らない。もちろん代案を提起する必要など全く無い。それが故に律儀者にとっての「悪」は、安倍晋三だけなのだ。即ち「安倍を倒せ」ば平和が実現できる。安倍を倒すには 「平和!」、「平和!」 と呪文を唱えればよいのだ。かくして国会前は「安倍倒せ」のプラカードを掲げ、「安倍やめろ」と絶叫する律儀者たちで溢れる。

 彼らが国会前で群れを成し、咆哮するメカニズムが見えてきましたね。しかし、私にとっては、現実に目をつぶり己の律儀だけを通そうとするタチの悪い輩は、人間の屑(くず)です。精神医学では彼らを「狂人」と呼ぶのでしょう。

 早大生の広内恒河(こうが)さんが国会前デモに対して「いつか教科書に載る景色ですね」と漏らしたと糞新聞は書いています。そのとおり、確かに教科書に取り上げられるでしょうね。ただし「オクロクラシー(衆愚政治)」の見本としてですよ。ウヒャ。


                    
        いつか教科書に載る景色



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