上海・蘇州                                                   2004.11.5 − 8   



< イントロ >


 勤務先から永年勤続のご褒美で10万円の旅行券と二日分の有給休暇が支給されたが、いつの間にか消化期限が切迫してしまう。勤務先からは「権利放棄せず必ず使い切れ」の指示が出る。そうであればしかたがないと、既に旅行券を使っている先輩の皆さんの勧めに従って行き先を「上海」に決める。旅行券は勤務先の子会社の旅行代理店経由でしか使えない由で、代理店の事務所においてあったパンフレットを眺めて日本旅行の上海・蘇州4日間にエントリーするが、旅行券だけでは資金が足らず、結局自腹をきることになる。旅程は、初日がフリータイムで、二日目と四日目が上海、三日目は蘇州である。  


< 上海へ >

 パンフレットには利用航空会社はJALとあったが、乗った飛行機はどういうわけか共同運航便の中国東方航空機(p1)。どこかのエアラインから譲り受けた中古機なのだろうか? 機内はそこかしこにシミのような汚れが確認できる怪しい雰囲気。前席の背もたれからテーブルを倒すと黒い汚れの筋が何本も入っているが・・、覚悟を決めて機内食を頂戴することにする。無事に飛んでくれという祈りが通じたのか・・、予定時間に上海浦東空港に到着する。


   p1 中国東方航空機)


< 上海雑技団 >

 空港からは、ホテルに直行して、あとはフリータイムとなるスケジュール。フリータイムでは、N子と二人で上海雑技団の公演を見る計画で、出発前に日本から上海のJCBプラザ(JTBでなくカード会社のJCBです)に電話してチケットを予約しておいた。しかし、チケットの受け取り時間が指定されており、花園飯店のJCBプラザまで取りに行かなければならない。

 空港で合流した中国人の現地添乗員さんに事情を話すと、タクシーを手配してくれる。いきなりツアー仲間の皆さんとは、別行動になる。タクシーといっても商用車として使っていたらしい中古のドイツ製のステーションワゴンに料金メータをつけただけの車で、助手席との間のコンソールボックスにはとぐろを巻いた植物?を浸した液体を入れた大きなビンがおかれている。そのビンを珍しそうに眺めていると、運チャンそれを手にとって、飲むか?と言う仕草をする。手を横に振っていらないと意思表示をすると、その液体をうまそうに口に含みニタッと笑う。この瞬間、はるばる中国にやって来たんだという思いを新たにする。

 高速道路は物凄い車の数で圧倒される。上海市街に入る手前でとうとう渋滞に捕まり、決められた時間に間に合いそうもないので、JCBプラザに携帯電話で連絡を入れる。少し訛りがあるが、分かりやすい日本語で応対してくれる。携帯電話は、勤務先からいつでも連絡がつくようにと言う指示があって、已む無く日本でレンタルしたノキア製。しかし、こういうときは助かる。
花園飯店で何とか用を足して、地下鉄でホテルに移動してチェックイン後に出直す。

 地下鉄2号線の静安寺駅から上海商城に向かう途中の四川料理店で夕食を摂る。客はほとんどが外国人風。結局、このときにメニューを指差しながらこれ・・とこれ・・と選んだ麻婆豆腐と焼肉(名称は失念)と肉団子がこの旅行中一番美味しい中国料理でした。

 上海商城で劇院の入り口を見つけられずに時間をロスし、雑技団の公演を最後列から二番目の列の座席で見る羽目になる。しかし、怪力大男、軟体少女、アクロバット、皿回し・・などの公演は素晴らしく、結局これが、今回の旅行での最大の収穫となりました。

 ホテルへの帰途、地下鉄はラッシュアワーと重なったためか大混雑。乗り合わせた上海人の皆さんからは、私たちは一見して日本人旅行者と分かってしまうようで、周囲の会話が何故か途絶えた車内で、不気味な視線に囲まれたひとときを過ごしました。


< 上海 >

 ツアー二日目は、若い男性添乗員さんの案内で、総勢19名のツアー仲間の皆さんと一緒に定番の上海めぐり。印象に残ったものは、「人の数(p2)」と「スモッグ(p3)」、「千円、千円と絶叫する物売り」、「物乞い」、そして「ちっとも美味くない中華料理」です。添乗員さんは、物乞いにはお金を渡さないようにと言う。何故かと訊ねると「私よりも収入が多い物乞いがたくさんいる」からだと解説する。特に日本からの観光客は彼らの恰好の資金源なのだそうです。平等社会を目指したはずのこの社会主義国家で、物乞いは高収入が得られる立派な?職業になっているのです。金キラ色に溢れた寺院や、由緒ある石積み(p4)のある中国式庭園には何の感動も無く、漢方薬や中国茶のセールストークにはウンザリ、救いの場所は何故かスターバックス(p5)でした。    

    
   p2 緑波廊前の人ごみ      p3 スモッグの中の浦東新区       p4 豫園の石積み

    

 p5 スターバックス・コーヒー


< 蘇州 >
 
  三日目は上海から高速道路を西へ、蘇州に向かう。道路脇には耕作放棄された畑や、造成中かと思われるむきだしの土塊が連なる荒涼とした風景が続く。日本であれば、高速道路や鉄道の沿線には、丹念に耕作された田畑や美しい森林が続いて目を楽しませてくれるが・・、この違いは、急速な経済発展による開発が進んでいるが故なのか、それともこれが中国文化なのだろうか? やがて水の都、水郷の街とよばれる蘇州に到着。エンジンオイルの焼けた匂いがする釣り船タイプの観光船に乗り換えて、水辺の貧民街(p6)とおぼしき一帯を巡る運河を進む。佐原や潮来などの日本の水郷と呼ばれる地域とは、大分趣が異なる。何より水が汚すぎる。この水を生活用水として使う中国人の感性は、日本人の精神文化とは相容れないものである。最後は独特な魚臭の蘇州料理でとどめを刺される。中華料理は日本で食べるからこそ美味しいのだということを思い知らされました。

    

 p6 蘇州の運河沿いの民家


< エピローグ >


 私の精神構造と中国文化との決定的な乖離を自覚したこの旅行から5ケ月後に上海の街路は反日を唱える暴徒で埋まりました。マスコミはこぞって天安門事件以降の江沢民による反日教育や、中国の役人の腐敗・格差の拡大などへの民衆の不満にその原因を求めましたが、私には中国文化の強い影響を受けながらも、独自の社会構造と精神文化を築き上げ、明治維新以後いち早く近代化に成功した日本人に対する中国人の畏怖心がその根底にあるように思えます。あの地下鉄の喧騒の中でのひとときの静寂が、それを物語っているように感じました。彼らにとってこの畏怖心は、GDPで日本を抜いたからといって克服できるはずはありません。

  その上、中国がかって強盛大国だった時代に、彼らは日本を東方の野蛮人の国と蔑んで、ほとんど関心をもたず、結果としてそれが近代における日本の独自性と優位性をもたらしたという歴史上の失敗を学んでいるわけです。あのクラリオンねえさんと違って中国は二番で満足する国ではありませんから、アメリカを凌ぐ大国に成長する過程で、日本にあれこれと注文をつけ、最終的には日本全体の経営と日本人の洗脳を企むのは必然の成り行きです。そんな将来の日本を見なくて済む私のような「お饅頭」が近い人間は、幸せ者なのかもしれませんね。
     ( 記:2011.3.3 )


 



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