ロマンチック街道 から スイスアルプス
へ
2011.6.30
−7.
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< イントロ > スイスアルプスを眺めたいという願望から昨年は4月にJTB旅物語のルフトハンザ直行便を使うドイツ経由スイス行きツアー(7月出発)に申し込んだものの人気コースのためか満席で、行先をカナダに変更せざるを得なかった。今年は2月に早々と同じJTB旅物語の「ロマンチック街道とスイスアルプス3大名峰・氷河特急の旅10日間(7月出発)」に申し込んで参加枠を確保したものの昨年のプランと異なり、ルフトハンザ直行便が確約されていないことが気懸かりだった。
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■ルフトハンザ航空 LH741便 関空からフランクフルトへ直行するLH741便は、エアバス(A340−600)(p1)です。格安プランなので、2−4−2の座席配置の中央に位置する4座席の真ん中の二つに座ることになるのでは・・? と5年前のカナダ旅行の悪夢の再来が懸念されましたが、関空で渡された搭乗券に記載された座席番号は、53番のHとK(右の窓側の2席)で一安心。その上、ルフトハンザ航空と同じスターアライアンスグループに所属するANAのマイレージが加算されることが分かり、二人合わせて少なくとも16,000マイルがゲットできると、N子はホクホク顔です。 【 第一日 】
フランクフルトからは、ベテラン運転手のカールお爺さんのメルセデス・ベンツ製大型バス(p5)で、アウトバーン(p6)を南に下り、古城街道の起点になるマンハイム市とライン河を隔てて向き合うルートヴィッヒスハーフェン市に向かいます。ツアー仲間の皆さんは総勢31名、20代からシニアまで年齢層には幅があるようですが、熱烈行動派の雰囲気が漂う女性ばかりで、男性は私を含めて僅かに6名です。賑やかな旅になりそうです。 宿泊は鉄道のルートヴィッヒスハーフェン駅から100mほどのところにあるベストウェスタン(Best Western)ホテル(p7)です。ロビーで看護師仲間だというKさんと、Dさんがスーパーの在処を尋ねているところに出くわし、歩いて15分ほどのところに在ることが分かったので、部屋で一息ついてから外出する。道中でK、Dさんと太公望のご婦人チームと合流して6人でスーパー探しを始める。教えられたとおりホテルから左へ、左へと進むと、カラフルな幟が何本も並んだ一角を見つけ、ここでは?と探索すると、BASFの工場の入り口でした。ルートヴィッヒスハーフェンは、世界的な化学製品メーカであるBASFの工場の所在地として有名ですが、何とホテルの直ぐ西側にその工場がありました。この辺り(p8)は、イスラム系や東ヨーロッパ系と思われる雰囲気の住民が多く、BASF社とその関連会社の従業員のベットタウンになっているのかも知れません。 最初に見つけた小さなスーパーは、店内が薄暗く、レジの女性はスカーフで頭を覆っていて、どうやらイスラム系の住民相手のお店らしい。さらに西に進んで、「Penny Market」の看板(p9)のある目的のスーパーをようやく見つける。ホテルからは2kmくらいはありそうだ。やや規模の大きなコンビニといった雰囲気のお店で商品の値段も手頃。ドライフルーツやナッツを買い込んで、アイスクリームを舐めながらホテルに戻りました。 【 第二日 】
■ ザックと自転車 ツアー二日目は、まずネッカー川沿いにあるハイデルベルクの旧市街に向かう。道行く人の多くがザックを背負い、車と自転車(p10)(p11)が調和を保って共存しているのが、この辺りの特徴のようだ。駅前の駐輪場には自転車が整然と並べられ(p12)、日本人と相通じところがあるドイツ人気質を感じる。 ■ ハイデルベルク 三十年戦争で破壊されたままの状態で保存されているハイデルベルク城(p13)のテラスから美しい旧市街(p14)を眺めた後、カールテオドール橋の上からネッカーの川辺(p15)を望み、聖霊教会(p16)のあるマルクト広場に降りて瀟洒な店舗が並ぶ街路(p13)を散策する。クッキー生地を丸めて揚げたシュネーバル(p18)は、この辺りの名物です。 ■ 脱原発 ハイデルベルクからは、ロマンチック街道に入ってローテンブルクを目指す。道路沿いには北海道の富良野から美瑛に至る国道237号の沿線の風景に似た美しい畑(p19)や牧草地が延々と続く。福島第一原発事故後に早々と脱原発への道を選択したことを宣言したドイツ。道路沿いには風力発電設備(p20)や太陽光発電施設が多数散在していると予想していたが、その数は意外に少ない。しかし、これだけ穏やかで広い平原が無尽蔵と思えるほどに存在するのであれば、「太陽光パネルを敷き詰める」のは、理にかなっているように思う。居座り続ける詐欺師宰相を抱き込んで、狭い日本の貴重な休耕地を、サムスン製の太陽電池パネルで埋め尽くそうなどと企てている恥知らずの悪ガキ経営者には、このドイツで商売をしてもらいたいものです。 ■ 金券還元有料トイレ ドイツやスイスでも有料トイレは当たり前の存在です。トイレの入り口で50¢程度を「トイレお母さん」に渡すのが一般的なスタイルですが、ロマンチック街道沿いの売店に併設されたトイレでは、回転式のゲート(p21)があって、70¢を入れると50¢分の金券が出て、この金券を使って売店で買い物ができます。実質20¢の有料トイレです。 ■ ローテンブルク 「中世の宝石箱」とも形容されるという美しい街並み(p22)を散策する。家々の窓辺には綺麗に咲き誇った花々で溢れたプランタが並べられ(p23)、旅行者の眼を楽しませてくれる。おもちゃ博物館の二階の窓からシャボン玉を振りまくクマさん(p24)に驚嘆し、Kathe Wohlfahrt(p25)の店内に並べられたクリスマス用の装飾品(p26)を眺めていると、既に15:00近い。マクルト広場の市庁舎の向かい側にある仕掛け時計(p27)の前に移動し、15:00の時報に合わせて、このローテンブルクが三十年戦争で破壊を免れた逸話を再現する仕掛け時計の動きを楽しむ。ドイツ史について浅薄な知識しか持たない私のような輩には、この逸話の重さを含めて、中世の街並みの多くをそのまま維持しているこの街の本当の素晴らしさは到底理解できないのだろうと思う。
【 第三日 】
予報は当たらなかったようで穏やかな朝を迎える。気温は15℃。まずロマンチック街道沿いのシュタインガーデンの平原に立つ世界遺産のヴィース教会(p31)に向かう。教会内部(p32)の装飾はロココ様式の最高傑作といわれているらしいが美術音痴の私には全く理解できない。ツアー仲間のKさんから写真撮影は禁止の看板があったと言われて、心配になり入り口でポスターを販売していた若い女性に訊ねると「写真はOK」の返事。ところが、教会からバスに向かう帰途、別のツアーグループの男性添乗員から「こんな所で写真を撮る奴があるか!」と一括されたという話で、ツアー仲間の皆さんは大騒ぎ。添乗員のTさんは、教会内でミサが行われている最中であれば別だが、基本的には写真撮影は可だと説明する。確かに市販のガイドブックにも撮影禁止とは書かれていないが・・。いずれにしても教会と宗教画には、私はどうしても馴染めません。
ヴィース教会からホーエンシュバンガウに向かう。ホーエンシュバンガウのチケットセンターからお城まではバスを使うことになる(徒歩では40〜45分)。バス乗り場は200人ほどの観光客で大混雑。およそ半分は日本人だ。20分ほど待ってバスに乗る。降りると直ぐにノイシュバンシュタイン城撮影の定番スポットであるマリエン橋に向かう。大混雑した下のバス停にいた観光客が全部移動してきたので、今度は橋上が人で溢れる。人が少なくなるのを待って、橋の上から田園風景を背景にした城(p33)の写真を撮る。確かに橋上やその周辺から眺める城の姿(p34)は優美です。パンフレットには外壁は改修工事中と記載されていたが、幸運にも工事は完了しているようだ。城壁の真下に回ると、壁石(p35)には19世紀の面影は全く無く現代建築の壁面のような雰囲気であり、やや興ざめしてしまう。城内への入場時間は、入場券の購入時にツアーグループ毎に指定されているため、雨がポツポツと落ちてくる中、40分ほど城外で待機する。日本語のオーディオガイドで案内される城内は、外壁と異なって完全にバイエルン王国時代の美術品や調度品で溢れて圧倒されるが、照明が暗く、写真撮影も禁止されているのは何とも残念である。帰路は馬車(p36)と歩行者用の道路を徒歩でホーエンシュバンガウに下る。 フュッセンに戻って昼食を摂った後、いよいよスイスに向かう。オーストリアの西端部のティロル地方を抜けてスイスのサンモリッツまで210kmの長丁場。車窓から牧歌的雰囲気の景色(p37)を眺めながら対向二車線の山間道路(p38)を走る。 昔から米西海岸などへのビジネス出張時には、水道水を平気でそのまま飲んでいたが、退職前の上海旅行でペットボトルの飲料水に切り替えて以後、海外旅行では水道水を口にしていなかった。前回のカナダ旅行で水道水も結構イケルことを再認識し、今回も、このサンモリッツのレストランで、ピッチャーで提供されたお水が美味しかったので、ホテルに戻ってからタップウォータを試してみる。石灰分が多く含まれていると言われているが、ほとんど違和感なく飲める。もちろんお腹の方も大丈夫でした。 【 第四日 】
コンチネンタルスタイルとは言え、ローディネラホテルの朝食はリッチです。4種類のソーセージ、3種類のチーズ、ハムは4〜5種類、パンも5種類以上、ゆで卵にジュースはリンゴとオレンジ、コーヒーもカプチーノやエスプレッソなど数種類。元気な行動派女性陣の食欲の旺盛さに圧倒されました。 ■ 氷河特急でアルブラ線をクールへ 快晴で迎えた第四日目の午前中は、サンモリッツ駅(p41)から氷河特急(p42)で・・ではなく「氷河特急に連結された二等車」で、その路線と景観が世界遺産に登録されているアルブラ線をクールまで走る約二時間半の列車の旅です。途中に高さ65mの石橋のランドヴァッサー橋があります。一般に氷河特急というと一等車を指すようですが・・、添乗員のTさんが大声で「一等車は天井が透明ガラスで、日差しが強い夏は暑い。その上、窓を開けることができないので鮮明な写真が撮れない・・」と、一等車の短所を並べて二等車に乗るのも満更ではないと解説すると、どっと歓声が上がり、車内の雰囲気は一気に高揚します。ツアー仲間の女性たちは、途中の駅から乗車したドイツ人らしいシニアのハイカーグループとたちまち意気投合して、車内は可笑しな英語と日本語が飛び交う賑やかなお喋りで一杯。車窓には雪を戴いた山々(p43)が姿を現し、牧歌的な景観(p44)の中を列車は西に進む。お目当てのランドヴァッサー橋が近づくと、そこかしこで写真撮影の予行演習が始まり車内は大賑わい。私もここで練習です(p45)。列車が橋の上に差し掛かると車両内は大狂騒状態。かろうじて橋と列車を写真に収めることができました(p46)(p47)。 ■フルカ峠を越えて 午後はクールからカールお爺さんのバスで、アルプス山脈の中央部に位置する無雪期だけ開通する標高2436mのフルカ峠を越えてマッターホルン観光の拠点であるツェルマットの北側にあるテーシュまで走る絶景ドライブです。バスは、道路沿いに牛が放牧され(p48)、高山植物が咲き乱れる(p49)山間のハイウエイを、どんどん高度を上げて行く。車窓には4000m級の峰々を背にした雄大な風景(p50)(p51)が広がり、車内は感嘆の声で溢れる。フルカ峠から少し下ったローヌ氷河(p52)のある展望所からは、イタリアとの国境に近い雪を被ったドム(4545m)とヴァイスホルン(4505m)の後方に、うっすらとマッターホルン(4478m)も望める(p53)。 排気ガス規制があるツェルマットには、このバスでは入れないため、MGB鉄道で一つ北側にあるテーシュで宿泊する。ホテルはテーシュ駅(p54)近くのエリート(Elite)(p55)。ロビー前には鉢植えの綺麗なエーデルワイス(p56)が置かれている。ホテル近辺からは、残念ながらマッターホルンは見えないが、ホテル前の道路に出ると、マッターホルンの東側に位置するブライトホルン(4164m)とクラインマッターホルンが南方向に望める(p57)。ホテルの部屋の窓からは、絵はがきに見るような美しい景色が広がる(p58)。夜は満天の星空で、天の川まで見えたそうですが、私とN子は爆睡していたようで見逃しました。
ツアー五日目は私にとってこの旅行のハイライトとなるマッターホルン観光。出発前にネットで検索した「雨」の予報に反して今日も快晴のようです。N子は自らの「晴れ女」としての神通力によるものだと自慢しますが、添乗員のTさんによれば、「ツアーグループが、和気藹々とした雰囲気で行動していると天候も自然に好転する」のだそうです。なるほどですね。
マッターホルンは、ゴルナーグラードの展望台(3131m)から眺めるというのが、この手のツアーの定番ですが、格安ツアーのためか・・? 私たちはツェルマットからケーブルカーで15分ほどのスネガパラダイス(2300m)からの眺望を楽しむことになります。高度的には不満がありますが、スネガから眺めるマッターホルンが一番美しいという定説もあるのです。この(p62)とおりです。 ツアー仲間の一人の「山歩き大好きお母さん」がスネガパラダイスでは物足りないと、ゴンドラ(p63)とロープウェイを使って、さらに800m高いロートホルンパラダイス(3103m)に上がりたいと添乗員のTさんに懇願する。意を決したTさん、希望者をロートホルンまで案内してくれると言う。一人86フランの臨時出費になるが、これほどの晴天に恵まれることは滅多に無いからと私とN子もロートホルン行きに同行することにする。Tさんが係員に掛け合ってくれて20%割引の団体扱いになる。ありがたい。ゴンドラとロープウェイからの眺望は、まさに雄大。また3000m超の高山の雰囲気に包まれたロートホルン(p64)からは、スネガからは見えなかったスイス最高峰のモンテローザ(4634m)の他、リスカム(4527m)やカストール、ボリュックスなどが望め(p65)(p66)、マッターホルン(p67)も一段と鮮やか。素晴らしいひとときとなりました。帰路にはゴルナーグラードの展望台(p68)も確認できました。 一緒にゴンドラに乗った大阪の若い看護師さん二人のチームからは自らが「晴れ女」であることの告白がありました。うわさによると、ツアー仲間に他にも数人「晴れ女」を自称する女性たちがいるそうです。ありがたいことです。
ロートホルンまで上がったためツェルマットでの散策時間が足りなくなる。大急ぎで駅前のコープ(p69)でチョコレートなどの食料品を調達する。排ガス規制があるツェルマットの交通機関は、電気自動車(p70)と馬車(p71)ですが、この電気自動車が曲者です。走行音が静かなため車の接近に気づかず、街並み(p72)の美しさに見とれてボンヤリしていると喧しい警笛で追い立てられることになります。昼食後は、マッターホルン(p73)の見納めをしてから列車でテーシュに戻ります。 p69 コープ p70 電気自動車 p71 観光馬車 p72 美しい街並み p73
街中からのマッターホルン ■グリムゼル峠を越えてインターラーケンへ 午後はテーシュから、再びカールお爺さんのバスで来た道をいったん戻って、今度はグリムゼル峠(p74)を越え、アルプス山脈の北側に出て、ユングフラウ三山観光の拠点となるインターラーケンに向かいます。 ■ インターラーケン インターラーケンは、ブリエンツ湖(p75)とトゥーン湖(p76)の間に位置する美しい街(p77)(p78)で、中心部にあるビクトリア・ユングフラウ・グランド・ホテル(p79)の前のメインストリートからはユングフラウの山頂(p80)が望める。メインストリートは国際色豊かで、黒いブルカを着てサングラスを掛けた全身黒ずくめのアラブ系のご婦人が、道の真ん中を闊歩している直ぐ脇で、この五つ星の高級ホテルから出てきた中国人が数人、奇声を上げている。世界の富を貪りつつある新興国家の俄成金の皆さんも、このスイスの国際的リゾート地がお気に召しているようです。 メトロ・ポール・ホテルの1Fの免税店で、リーゾナブルな価格で売られているビクトリノックスの多機能ナイフ(p81)をようやく見つけて購入する。宿泊は、街の中心部にあるシティ・ホテル・オーバーランド(City
Hotel Oberland)(p82)。このツアーで宿泊したホテルは全て三つ星(★★★)ですが、ドイツのルートヴィッヒスハーフェンのホテルを除いてエアコンがついていませんでした。このホテル・オーバーランドも冷房は扇風機でした。
ツアー六日目は、インターラーケンからシーニゲプラッテ鉄道の起点のウィルダースヴィルにバスで移動し、オプト式の登山列車(p83)でシーニゲプラッテ高山植物園(1987m)に登ります。ウィルダースヴィル駅からは、真っ白なユングフラウの山頂(p84)が鮮やかに見える。ツアー仲間の皆さんが仲良しのためか、はたまた大勢の「晴れ女」の皆さんのご加護によるものか、今日も目映いばかりの快晴です。 ■ ベルン 午後はバスでベルンに移動し、バラ公園(p93)経由で世界遺産の旧市街(p94,p95,p96,p97)を散策する。フリータイムだが、日差しが強く少々バテたため、早々に切り上げて木立の陰でアイスクリームを舐める。別のツアーグループの日本人女性がニーデック橋の近くでカメラを鞄から取り出した際に財布を盗まれたと、ツアー仲間に訴えているところを目撃してしまう。スイスの世界遺産の地といえども、異国での油断は禁物です。バスに戻ってカールお爺さんに「暑い!」とグチをこぼすと、カールさん、「29℃だよ!」と同調してくれる。日本の夏に比べれば、はるかに涼しいのですが、高原慣れした体には29℃でも酷暑と感じてしまうようです。 ベルンからはツアー最後の宿泊地チューリッヒへ向かう。162kmの長丁場。スイスは山ばかりと誤解し易いですが、ベルンからチューリッヒへの幹線道路沿いには、長閑な畑や牧草地(p98)が広がっています。チューリッヒはスイスの商業・金融の中心地であることから現代的な景観の街という先入観がありましたが、街には古い建造物が溢れていました。二度の大戦を経験していない所以でしょうか。環境保全を優先させる国策のためかトロリーバスや路面電車(p99)がやたら目に付きます。夕食は郊外のレストランでチキン料理。宿泊は中心部から大分離れたアトランティス・ゲストハウス(Atlantis
Guesthouse)(p100)でした。
■ フランクフルト空港 最終日の朝はAM4:00前に起床して、チュリッヒ空港に向かいます。ホテル出発前、N子がザックを部屋に忘れて大騒ぎ、操作ミスをして読み取り式のカードキーで部屋が開けられなくなり、添乗員のTさんにご迷惑をお掛けしました。チュリッヒ空港からフラックフルト空港に飛んで、保安検査、出国手続きの後、空港内でLH740便の搭乗時間までフリータイムです。マクドナルドで大きなソーセージバーガーとこれまたビックサイズのホットコーヒーのセット(3.19ユーロ【400円弱】)を注文して昼食とする。ビックマック1個が11.9フラン(約1200円)もしたスイスに比べると、ドイツの物価は安心感を与えてくれます。 ■ 液晶テレビ フランクフルト空港の待合室に置かれている液晶テレビモニターは全てLG電子製でした。どのモニターもニュースを読み上げるアナウンサーの背後に陽炎のような皺が出る劣悪な画質で、私とN子にとっては出来損ないのモニターの陳列会でもやっているの・・という雰囲気なのですが、技術志向のドイツ人でも、この程度の画質で満足してしまうのでしょうか? 究極の高画質を追い求める日本人技術者は、この現状をどのように理解しているのか心配になりました。
日本で例えば、北アの槍ヶ岳の美しさを間近で感じてみたいのであれば、常念岳から蝶ヶ岳への稜線に立つか、上高地から槍沢まで入るか・・とにかくザックを担いで山道を歩いて絶景ポイントまでアクセスする必要があります。スイスアルプスは、その美しさの点では日本アルプスを凌駕しているとは決して言えないと思いますが、絶景ポイントに山登りの素人でも簡単にアクセスできる展望所(台)が数多く設置されていて、アルピニストが経験する感激の一部分を素人でも容易に味わうことができるという点で、南北の日本アルプスなどに比べてはるかに親しみ易く、これがスイスアルプス観光の人気のベースになっていると思います。
(1)
現地ガイドをつけない 日本語が話せる現地人(又は、日本人)のガイドは一度もつきませんでした。現地に到着する前に添乗員のTさんから、観光地のあらまし、歴史的な経緯、観光のポイントなどの説明があり、現地ではTさんが案内してくれました。ノイシュバンシュタイン城ではワイヤレスのオーディオ受信機が各人に渡されて録音再生の日本語のガイドがありました。前回のカナダ旅行では、全日現地ガイドがついて、確かにガイドブックに書かれていない現地の事情などを話してくれましたが・・、ネットなどを活用して十分に予習しておけばガイド無しでも済ませられるように思います。
宿泊客用のエレベータが無かったホテル・オーバーランドを除いて、荷物運びのポータはつきませんでした。ポータがつくと、時間的に余裕を持ってスーツケースをドアの外側などに出しておく必要がありますので、かえって面倒です。私にとってはポータがつかないのは幸いでした。荷物を他人に預けるとかえって心配だという人にも幸いかも知れません。 (3)ホテルは三つ星 五つ星ホテルでも、部屋が狭かったり、ダブルベットだったりと期待に反するケースも過去ありました。私は、三つ星(スタンダード)クラスでもどんとこいですが、折角の海外旅行、これだけは譲れないという人も多いでしょうね。 (4)ホテルとレストランは穴場も活用? チューリッヒのホテルとレストランは中心街から外れた住宅街の一角にありました。夕食を、宿泊したホテルのレストランで摂ったのは一度だけで、それ以外は、街中のレストランや別のホテルのレストランでいただきました。このあたりも、コスト削減のための新規開拓活動の成果なのでしょうね。メニューの選択にも旅行会社のノーハウが生かされていたように思います。「来るものは拒まず。全て完食」という私にとっては何の不都合もありませんが、嗜好上の選択範囲が限られている皆さんにとっては、つらい毎日だったかも知れません。 (5)展望所は近場で 定番のユングフラウヨッホは、シーニゲプラッテに、またゴルナーグラードは、スネガに置き換わっていましたが、これはこれで十分に楽しめたと私なりに満足しています。 ( 記:2011.7.30 ) |