糞新聞朝日、年末社説も恨み節    2016.1.3   



 枕元のディジタル時計に内蔵された温度計の表示は7.5℃。一面の雪景色だった昨年とは様変わりで、穏やかに晴れた新年の朝を迎えた。

 読売新聞の元旦社説の見出しは「世界の安定へ重い日本の責務」である。巷間では政府の御用新聞に成り下がったと酷評されている読売だが、「国際秩序の安定をどう取り戻すか。世界は今、大きな試練に直面している」で書き始められた社説の内容は至極真っ当だ。今年も過大なストレスを感じることなく、この新聞と突き合っていけそうだ。

 我らが糞新聞朝日の社説はどんな案配だろうか・・とタブレットを叩いてみる。すでに元旦の昼過ぎなのだが、どういう訳か元旦社説は、未だネットにはアップされておらず、「2015−2016 深くねむるために」の見出しがついた大晦日の社説がそのまま残っている。糞新聞の社説を眺めるのは久しぶりだが・・。冒頭に書かれた「2015年が終わる。眠りの浅い1年だった」の言葉にいきなり吹きだしてしまった。

   
   社旗だけは恰好良いんだけど・・


 朝日が葬式を出すはずだった安倍晋三さんは、益々意気軒昂だ。足下をすくうチャンスと糞新聞が狙っていた「訪米」や「戦後70年談話」を無難に切り抜けた上、安保法案もあっさり可決させた。秋以降は国会を閉じて軽減税率問題を官邸主導で収束させ、外交でもポイントを稼いだ。挙げ句は慰安婦問題にケリをつける歴史的決断までやってのけた。国論を二分する政治課題に向かい合いながら、依然として内閣支持率は不支持を上回っている。まさに驚異的だ。妖怪紫バアさん(浜口矩子女史)が「アホノミクス」と扱き下ろしている経済も、「2015年に景気失速する」との女史の予言も空しく、未だ精気を保っている。読売新聞社が実施した「新春・景気アンケート」では主要企業の経営トップの8割が2016年上半期の景気は緩やかに回復するとみているという。

 糞新聞を仕切っている左巻きの編集委員が、目の前を快走する安倍政権の迫力に苛まれて、なかなか寝つけず、ようやく寝入っても直ぐに覚醒してしまう辛い夜を送っていたのも当然だろう。「眠りの浅い1年だった 」は糞新聞の編集委員の偽らざる心境の吐露だと私は素直に受け止めたのだが・・・。

 この糞新聞の年末社説は、どこで見つけてきたのかアメリカ先住民の神話を持ち出して、安倍政治を思慮の浅い暴走(←私の個人的な解釈ですが・・)だと皮肉り、さらに用地買収に応じず東九州自動車道の全線開通を阻止し続け、最終的に土地を強制収容されたミカン農家の境遇に対して朝日としての「思い」を寄せた上で、いよいよ天敵の安倍晋三さんに正面攻撃を仕掛ける。「戦後70年の安倍首相談話は、とても巧く書かれていた」と茶化した上で、「あれから4ヶ月。いま、あの談話から最も強く伝わってきたことは何かと問われたら、どう答える人が多いだろう。言葉とは不思議なものだ。思いに裏打ちされていなければ、ほどなく雲散霧消する 」と、糞新聞特有の持って回った言い方で安倍さんを貶めるのだ。   安倍晋三さんの70年談話が「思いに裏打ち」されていないと年末の土壇場になっても扱き下ろすのだらから朝日の編集委員の執念深さは尋常ではない。

 戦後70年談話に込めた安倍さんの「思い」は、「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そして先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」の一言に明確に表現されている。常識的な判断力を備えた日本人であれば誰もがこのように答えるだろう。年末の日韓慰安婦問題における安倍首相の勇断もこの「思い」が作用したに違いない。

 捏造と扇動によって、日本国民を謝罪を続けなければならない状況に追い込んだ張本人でありながら未だに謝罪の欠片さえ拒否している糞新聞にとって、この安倍首相の言葉は衝撃だったはずだ。「ほどなく雲散霧消する」は、談話が早く忘れ去られて欲しいという糞新聞朝日の儚(はかな)い希望から生じたものだろう。糞新聞のおぞましさは底無しなのだ。  
 年末社説は続ける。沖縄で暴走を続ける翁長とかいう県知事がどこぞで見つけてきた「魂の飢餓感」という言葉を理解しろと説教し、さらには過労自殺したワタミの従業員の境遇に対して、我々には『「安さ」の裏に何があるか』についての感受性が足りないと偉そうに諭すのだ。政治も日本国民も「思い」が足りないと宣(のたま)うのである。「いよいよ、あれが来そうだな」と思ったまさにその瞬間だ。案の定「それでも考え続ける」の小見出しが飛び出してきた。

 散々に人を馬鹿にして説教を垂れてきた挙げ句、左巻き連中の常套句である「もっと考えましょう」でチョンである。現状の打開に向けての朝日の迷提言でも出てくるかなと思った読者は完全に拍子抜けだ。

 そして社説の末尾で「眠りの浅い1年 」のタネが明かされるのだ。

  昨年7月に亡くなった鶴見俊輔氏の詩「かたつむり」に「深くねむるために 世界は あり/ねむりの深さが 世界の意味だ」の言葉がある。この1年を締め括る社説を、この鶴見氏の言葉に何としてもこじつけたかったのだ。糞新聞朝日の盟友であったコミュニストの言葉を使って「憎き安倍晋三」を貶めたかった。これが大晦日社説に込めた糞新聞朝日の真の「思い」だったようだ。

 朝日の編集委員が「眠りの浅い1年だった 」と嘆けば、普通の日本人であれば、糞新聞の状況を察して、私と同様に「さもあらん」と「思い」至るに違いない。社説を眺めた読者の多くは、大晦日の「朝日の嘆き節」と理解したはずだ。1年の締め括りの社説が愚痴だらけでは根っからの朝日シンパであっても興ざめだろう。2016年も一段と発行部数を減らすのは間違いなしだ。アハ。  


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