新国立:ここまで醜悪 糞新聞朝日の恨み節    2015.7.19    



 当初1300億円を予定した建設費が、概算で2500億を超える規模にまで膨れあがってしまった新国立競技場、巷間では財政難の最中にとんでもない税金の無駄使いだと非難轟々(ごうごう)だ。7/8付東京新聞(電子版)によると、シドニーとアトランタの2大会連続で五輪メダリストとなり、2020年東京五輪の招致活動にも参加したマラソンランナーの有森裕子さんは、「心から願うのは・・、オリンピックが皆さんの負の要素のきっかけに思われるようなことは本望ではない・・」と涙ながらに建設計画の変更を訴えたという。エドモントンとヘルシンキの二大会で世界陸上のメダリストとなった為末大さんも自身の公式ブログで、現行の建設計画に反対の意思を綴(つづ)った。

    
       非難轟々の新国立


 大手新聞も「財源のメドすら立たないまま、建設へと突き進む。あまりに愚かで、無責任な判断である」(7/9付読売新聞)、「野放図に膨らんだ総工費。完成後にのしかかる巨額の改修費・・・・このまま見切り発車してはならない。後世に残す国民の財産をめぐる議論はまったく尽くされていない」(7/6付朝日新聞)など、社説を使って現行計画をそのまま進めることに反対の意思表示をした。このとき朝日新聞は、現行の計画でも工期面でリスクがあること、また設計を一から見直す場合でも工期をどこまで短縮できるのか国民にデータを公開して検証すべきだと主張し、建設工事の事業主体であるJSCとこれを所管する文科省だけの問題ではなく「政府全体の姿勢と判断が問われている」と至極冷静で、的確な論評をしている。


 結局、JSCも、文科省も計画見直しの決断ができず、台風一過の17日、朝日新聞の提言どおり安倍首相が動いた。東京五輪・パラリンピック組織委員会会長の森喜朗元首相の了承を得て建設計画の白紙撤回を表明したのだ。7/18付の読売新聞によると、安倍首相は既に6月中旬に首相周辺に計画の再検討を指示していたが、回答は「工期が間に合わない」だったという。しかし、世論の高まりを受けて首相は「最期は自分で決める」という決断をしたようだ。


 7/17付の読売新聞は、首相の「白紙撤回」の決断を受けて、前述の有森裕子さんが「このタイミングで大変な決断だっと思う。大きな不安があった中で、ほっとする変化があった」と述べて、素直に安堵感を表現されたと伝えている。為末大さんも自身のブログに「一時期は決定したことだから覆せないという空気がありましたが、こうして再検討されることはうれしく思います」と書いて見直し決定を喜んだ。現行計画を「愚かで無責任」とまで言い切った読売新聞も、7/18付社説で『「ゼロベースで計画を見直す」とした首相の決断を評価したい』と計画変更を歓迎する論評を掲載した。


 ところが、我らが迷友糞新聞朝日は首相の決意表明が何故か気に入らないらしい。7/18付で「新国立競技場問題−強行政治の行き詰まりだ」の表題の社説を掲げて、安倍首相の計画見直しの決断をケチョンケチョンに酷評したのだ。社説は「安倍首相の言葉が空々しい」で始まり、白紙撤回の決断は「民意にこたえる指導者像を演じることで内閣支持率の低落傾向に歯止めをかけたい」ためだと扱(こ)き下ろし、さらに「白紙に戻し、ゼロベースで見直す」という方針転換は「当たり前の決定」だと言い放つ。もうムチャクチャで、7/6付の糞新聞の冷静な社説とは様変わりである。


 責任の所在が不明確であることをやり玉にあげて、下村文科大臣、JSC、森喜朗会長を次々に血祭りにして、あげくは「権力を握った者がにらみをきかせれば、無理が通る。露呈したのは、首相や有力政治家が絶対君主のようにふるまい、たとえ同じ政党のメンバーでも異論を言えない。そんな日本の政界の有り様である」と宣うのだ。いくら反日糞新聞でもここまで書くのは尋常ではない。蒸気機関車のように頭から湯気を噴出させ、鉢巻きをした前頭部を、目の前の机に執拗に打ち付けて、ダミ声で安倍憎しの呪文を唱えながら社説を書いている論説委員の姿が目に浮かぶようだ。


 さらには「国際コンペで採用されたデザインについては当初から、・・異論が噴出していた。・・・見直す機会が何度もあった。・・・ことごとく引き返すチャンスを逃してきたのは安倍政権だったことを猛省すべきだ」と全てが安倍晋三さんのせいだと決めつけ「民意を顧みず、説明責任を避け、根拠薄弱なまま将来にわたる国策の決定を強行する。それは競技場問題に限ったことではない。国民が重大な関心を寄せる安保関連法案や、原発関連行政にも通底する特徴だ」と、新国立競技場問題とは何の関連も無い、安保法案や原発再稼働問題まで持ち出して「根が同じ」だと言い出すのである。


 糞新聞朝日の提言どおりに、計画見直しの方針転換を決断し、それもゼローベースで見直すことを安倍首相が表明しているにも係わらず、それが「気に入らない」と駄々をこねているのだ。そう言えば私も、幼かった頃に何をやっても旨くいかなくて悄(しょ)げていると、お袋がよく甘いものを少しばかりくれたが、私は「こんなものいらない!」と強がったものだ。

 安全保障関連法案は、糞新聞による安倍政権に対する連日のネガティブキャンペーンにも係わらず、議会制民主主義の基本的ルールである多数決によってあっさりと衆院を通過して参院に送られ、今国会中の成立が確実になった。原発も当初の見込みから遅れてはいるものの、一つひとつ着実に再稼働に向けて作業が進められている。安倍政権への大きなダメージになると糞新聞が密かに期待していたであろう台風11号の影響も奇跡的に小規模に留まった。その上、政権攻撃の恰好の材料として使えると考えていた新競技場問題が天敵の安倍晋三首相の「ツルの一声」で消えてしまったのだから、糞新聞にとっては心底から面白くないだろう。しかし、駄々をこねるにしても、この社説は常軌を逸している。とにかく、この恨み節は下品過ぎる。昭和初期にも糞新聞はこんな具合に政府を糾弾するふりをして日本国民を扇動して戦争への道を歩ませたのだろう。


 右巻きか、左巻きかの違いはあっても「自らの政治的思惑を満足させる方向に国民を扇動する」ことが、大戦前、大戦後、そして現在と、時代を問わずに糞新聞朝日の究極の目標であったと私は確信している。これこそが、その根性の醜悪さと併せて私が朝日を糞新聞と見なす理由だ。安保法案の採決で安倍内閣の支持率が低下している今が、世論を「反安倍」の方向に誘導する絶好の機会と錯覚して、意図的に激しい言葉を社説に使って政権批判をしているのだろう。しかし、糞新聞の思惑どおりには、いかないだろう。競技場の建設コストを肥大化させた最大の要因であるデザインの決定にあたって、通常ではあり得ない方式のコンペを採用したのも、応募基準を満たしていなかったザハ・ハディド氏のデザインを強引に採択したのも、間違いなく民主党政権である。必ずブーメランとなって糞新聞にさらなるダメージを与えることになるだろう。


 糞新聞朝日と並ぶ反日扇動の大御所TBSのサイテーモーニングも、天敵の安倍晋三さんに対しては、生憎の連戦連敗で、お通夜のような雰囲気でしたね。地獄の底から現われたような暗いイメージの姜尚中(かんしょうちゅう)先生が真ん中に座っていたので、余計にそう感じたのかも知れませんが・・。そう言えば、「しょうちゅう」は「かん」はしませんよね。オヨビでない?


     
      お通夜のような雰囲気ですね


 ところで、糞新聞には、槇文彦さんのような冷静な指摘をしてくれる権威者がいないものでしょうかね。
 アハ。じゃない ザハ・ハ。


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