工程表を示さない菅無能政権(東日本大震災)       2011.4.16   



復興の青写真を描けない被災地

  震災発生から5週間、自衛隊の出動を指示したほかは、「東電脅し」と「組織いじり」に現を抜かして、被災者救援の当事者としての責任を完全に放棄した菅無能政権は、この1ケ月余の失態を「精一杯やりました」の一言で総括して、「これからは復興活動の段階に入る」としゃあしゃあと宣言した。いまだに十数万人の被災者が厳しい避難所生活を送る一方で、たしかに被災地の一部では、地方自治体だけでなく集落の自治組織や組合、会社経営者などによる復興に向けての取り組みが始まっている。

 しかし、全てを失った被災地は、瓦礫の始末、港湾の復旧、工場の再建、何をやるにしても国からの資金援助や法的な支援がなければ進められない状況にある。ところが、報道によれば、瓦礫処理や仮設住宅建設の費用などを含む一次補正予算の与党案は、バラマキ4Kの撤回を要求する自民党と財源問題で折り合いがつかず、今月中の与野党合意は困難な見通しのようだ。補正予算案以外の復旧・復興関連法案についても十数本の法案が検討されているというが、政府の思惑だけが先行して、何時までにどの法案が成立するのかについての見通しは全くたっていない。何時までにライフラインが復旧し、避難所を出られるのは何時になるのか、元の仕事には就けるのか・・被災者を勇気づけることができるのは、将来への明るい見通しである。被災者も地方自治体も政府からの支援がどのような形で何時までに提供されるかが明確に示されない限り、復興の青写真を描くことはできない。この無能政権に被災者はどれだけ苦しめられるのだろうか。



阪神大震災の復興委員会をパクッてはみたけれど・・

自民党の谷垣総裁の十八番だった「絆」を、ご本人に一言の仁義もきらずにあっさりとパクッてしまった菅首相は、今度は阪神・淡路大震災の「阪神・淡路復興委員会」を真似て「復興構想会議」を立ち上げた。官僚嫌いの菅首相が議長に指名したのは、戦後レジームの信奉者として著名な防衛大学校長の五百旗頭真氏であった。この人物の歴史観や東アジア観、国防に対する考え方は私の信条とは相容れないが、防大の卒業式当日に校門で「校長の罷免」を要求するデモ隊の声を全く意に介しないところなどは、醜態を晒し続けながらも「石にかじりついてでも」辞めない菅首相と相通ずるところがあるようだ。

建築・土木の専門家でもあった元国土事務次官の下河辺淳氏を委員長にした阪神大震災の復興委員会は、兵庫県知事と神戸市長を加えた僅か7名の委員で、さらに政界から後藤田正晴氏、経済界から平岩外四氏の大物を顧問に据えて、震災1ケ月目にスタートし、11の提言などをまとめた。(http://www.bousai.go.jp/4fukkyu_fukkou/hanshin_awaji/301.pdf)その提言の多くは、元官僚の下河辺委員長が省庁間の調整に走り回って実現させたという。

菅首相の肝いりの復興構想会議は、特別顧問の梅原猛氏を除いても15名の大所帯で、しかもメンバーは異才や毒舌家を含めて一家言を持つ人たちで溢れている。さらに被災地が広範囲にわたり、それぞれの地域の特殊事情も存在する。これを唯我独尊の香りが漂う五百旗頭議長がまとめきれるとは、とても思えない。案の定、初日の決意表明で「原発問題の除外」と「増税」を宣言した議長に委員や政界から異論が噴出し前途多難を思わせている。素人目にも分科会方式での検討などの方法をとらない限り、会議を効率的に運営し有効な提言を導き出すことはできないと思えるのだが・・。提言ができたとしても、阪神大震災の復興委員会と異なり官僚経験者がいない会議メンバーでは、提言の実現への働きかけは容易ではない。提言が実現できるかどうかは、提言を受け取る復興本部(仮称:本部長は菅首相)の実力と本気度に完全に依存してしまう状況であり、提言が「夢物語」扱いされてしまう危険もある。スッカラ菅と揶揄される首相の政治家としてのセンスはこの程度なのだろう。

 震災後、何事にも工程表と期限を全く示してこなかった菅無能政権が、珍しく緊急対策を6月末まで、全体的な提言を年内にまとめると期限を切ってみせたが、復興遅れの責任を構想会議に押し付ける魂胆のように思えてならない。瓦礫の処理など緊急に行うべき項目は、復興会議の提言を待つ必要もなく、お得意の政治主導でどんどん指示を出して進めるのが当然ではないか。


 

工程表を示さない責任逃れ政権/薄情政権

菅無能政権は被災地に対する復旧・復興活動の工程表を示さないばかりか、いま最も工程表を必要とする原発事故処理についても、収束への道筋と期限を全く示していない。菅首相は、原発から20km圏を越えた5市町村を計画的避難区域に指定した翌日の4月12日になって、さすがに拙いと思ったのか、ようやく「東電に対して事故の見通しを示すように指示した」と述べた。この言葉には、国民の誰もが仰天したことだろう。「今までは指示も出していなかったのか」、「指示だけ出せば済むと思っているのか」と呆れたはずだ。昔、幼かった娘を叱ると「ちゃんと、やってるもん!!」といつもふくれていたが、あきれたことに一国の総理大臣がこれと全く同じ行動パターンをとっているのだ。

 無能でありながら政権維持には異常な執着をみせる菅首相は、政権掌握後のあらゆる局面で、自らの失敗の責任転嫁を繰り返し、逃げ菅と称されてきた。震災発生後に内閣官房参与と首相補佐官を次々に任命し、問責決議を受けた議員を表舞台に呼び戻し、さらには内閣府を会議だらけにしたのも、組織を肥大化させ、司令塔を分散させて責任の所在を曖昧にする責任逃れ作戦の一環に思える。原発問題でも東電を恫喝するパフォーマンスを随所で国民に露出して責任の全てを東電に押し付けてきた。今また工程表を示せないのは東電のせいだと演じて見せているのである。政府自らが工程表と期限を示すことは、国民に菅政権の業績評価を行うための決定的な判断基準を与えてしまうことになるので、菅政権にとっては「石にかじりついてでも」できない相談なのかも知れない。

あの小田実がそうであったように、闘争の相手を徹底的に論破しなければ気がすまない市民運動家には、傲慢で薄情な人間が多いように思う。菅首相にも同じ血が流れていると感じる。厚生大臣として薬害エイズ問題で厚生官僚と対峙して国民から喝采を浴びたあの姿は、この人物一流のパフォーマンスだったことが今ならば理解できる。被災地の避難所を訪問しても、被災者の境遇や心情に思いを寄せた言葉は、この人間の口からは発せられなかった。松本健一内閣官房参与が犯人にされた「原発周辺区域には・・10年・・20年・・・住めない」の発言も、菅首相の言葉だと言われれば、私の頭にはすんなり入る。

 この人物には政治家として最も必要な特性である弱者に対する思いやりの心が決定的に欠けていると思える。突然の原発事故で福島の故郷を追われて、流浪の民となった5万人もの人々の心情を察することができるのなら、政治的な思惑から離れて、この人たちを何とか安心させてやりたいという気持ちになるのが当然なのだが、この薄情な男とその政権には「何時までに・・必ず戻れる」の一言が、どうしても言えないのである。




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