白旗山[440.3m]  所在地:兵庫県赤穂郡上郡町     地図:1/25000 上郡、二木         ルートMAP          


<イントロ>
 
 「長水山」 から降りて、予定どおり白旗山(p1)に向かう。白旗山は、南北朝時代の建武3年(1336年)に足利方に与した赤松円心が城を築いた山である。徳永真一郎氏の太平記物語(毎日新聞社)によると、賀茂の糺河原の戦いで、新田義貞と北畠顕家の連合軍に敗れて西に下った足利尊氏への追求を阻止するため、赤松円心入道はこの山城に籠もり、新田義貞が率いる6万の軍勢を50余日間釘付けにしたという。その後この山城は、嘉吉の乱(1441年)で山名氏に滅ぼされる
まで播磨・備前・美作の三国の守護大名であった赤松氏の本城となったという。城跡は現在、国指定遺跡となっている。
 山の東側にある鞍居川沿いの「野桑」から、山の西側の「赤松」に延びる近畿自然歩道を辿ってアクセスする。
  

  
   p1  野桑地区からの白旗山



日時 : 2013年3月6日(水)
    天候 : 晴れ

コース : 赤穂郡上郡町野桑 → 第一の分岐 → 二ノ丸跡 →   山頂  → 野桑広場   

      野桑広場      
             
13:25       14:05     14:35       14:40/14:55   16:00



<アクセス>


 カーナビを上郡町野桑の県道28号上に設定し、山崎町五十波から国道29号を中国道の山崎ICまで戻る。さらに県道26号、県道434号、国道179号と走り、新宮町粟町から県道44号で播磨科学公園都市の丘陵を越えて県道28号を下り、さらに鞍居川沿いを南下する。上郡町の野桑地区に入り、左手に注意して進むと、桜並木が現れ、その左手の川岸に沿って南北方向に延びる広場がある。左手県道脇に神姫バスの「野桑」バス停(p2)(p3)と待合所が見え、この広場(帰宅後ネットにあたると「野桑広場」と呼ぶらしい)への入り口がある。広場に入って桜の木の下に車を停める(p4)。春には盛大な花見ができそうな広場である。

   
      
    p2  バス停「野桑」        p3  バス停の表示板      p4 野桑広場の駐車スペース 


<ゴーイングアップ>

 県道を跨いだバス停の向かい側に太いパイプを使ったユニークな形状の道標(p5)が設置されている。道標には「白旗城跡 登山路→」と表示されている。矢印に従って民家の間を抜ける生活道路(p6)を進む。道路脇に再び同じ形状の道標(p7)が置かれており、ここで左折して山裾に向かう狭いコンクリート道(p8)を進む。獣避けゲート(p9)が設置されており、右手のフェンスに「白旗山登山口」と表示した木板(p10)が掛けられている。ここから山に入る。


        
      p5  道標       p6 民家の間を抜ける道路    p7  道標

      
   p8 山裾に向かう道路      p9 獣避けゲート     p10 登山口表示


  スギ(一部ヒノキ)の植林帯を抜ける幅広の林道(p11)を進む。左手に沢が迫り、心地良い瀬音が聞こえる。この林道が近畿自然歩道として指定されており、道路脇に表示柱(p12)が立てられている。スギの伐採作業が進められているようで、林道には作業車の轍の跡(p13)がくっきりと付けられている。駐車場から30分ほど歩いたところで林道は終わり、右手道路脇に案内板(p14)が設置されている。案内板を眺めながら一息いれる。

      
   p11 幅広の林道      p12 近畿自然歩道の道標    p13 轍が掘れた林道

  
     p14  案内板


 ここから苔むした倒木(p15)や岩(p16)が転がる本格的な山道になる。林道終点から10分強で最初の「分岐」がある。「白旗城跡0.9km」と表示した道標(p17)が設置されていて、北東方向に延びる急傾斜の階段道(p18)がある。一息入れてから、階段道を上がる。辺りは自然林に変わっている。息を切らせて階段道を上りきると、落葉が堆積して滑りやすい急傾斜の山道(p19)になる。慎重に歩を進めると、「分岐」から10分ほどで、白旗山頂から南西方向に延びる稜線に到達し、道標が設けられた二つ目の分岐(p20)がある。山頂へは、この稜線を右手に進む。


      
    p15  苔むした倒木        p16  苔を被った岩塊         p17  道標
 
      
     p18  階段道          p19 落葉が堆積した急登       p20  第二の分岐


 ここからは春の陽光が降り注ぐ傾斜の厳しい山道(p21)を進む。「堀切」と表示された木柱(p22)からは、岩肌が露わになった急傾斜(p23)を行く。櫛橋丸跡への分岐(p24)はパスして、二ノ丸・本丸跡を目指す。稜線の勾配が穏やかになり、二つ目の「分岐」から丁度20分ほどで二ノ丸跡に到着する。


 落葉が堆積した数百平米ほどの平坦な広場に二ノ丸跡の標識(p25)が立っている。足利尊氏を追討するため播磨に入った新田義貞は、何故こんな山城への攻撃にこだわったのだろうか? この山城を部下に包囲させておいて、自らは尊氏を追って西進するのが正解ではなかったか? 誰もがそんな想いを抱くに違いない。前出の「太平記物語」では、その理由として「鎌倉攻めののちは、どの戦さにも不覚をとり、人々から嘲笑されておるゆえ、西国へ下ったからには、せめて城の数カ所も落とさずば、京都へは帰れまじ」という太平記での義貞の言葉を引用し、義貞がおのれのメンツに拘ったためだと解説している。明治10年の西南戦争で、熊本城を落とすのに拘った薩摩軍も同じ失敗を犯している。「武人のメンツ」が要因とするこの分析は当たっているように思える。


      
  p21 穏やかな陽光を受けた登山道    p22 「堀切」の表示柱      p23 露岩が突き出た急登

    
   p24 「櫛橋丸跡」への分岐     p25 「二ノ丸跡」の標識


<トップ>

 二ノ丸跡から幅の広い、なだらかな稜線を北に辿ると、いまは広場(p26)になった一等三角点(p27)が埋まる山頂の本丸跡(p28)に到達する。山頂の周囲の大部分は樹木が覆って展望はなし。東から北東方向(p29)が僅かに開けて、三濃山(p30)の存在感のある山塊や、白く横手方向に延びる播磨科学公園都市の大型放射光施設(spring8)(p31)が見える。


      
   p26  白旗山の山頂広場        p27  一等三角点        p28 「本丸跡」の表示

      
   p29 山頂から東・北東を望む       p30  三濃山       p31 大型放射光施設(白色の建屋)


<ゴーイングダウン>


 下山は同じルートを約1時間で歩く。山中でのハイカーとの遭遇は無し。



<エピローグ>


 静かな山行が楽しめる山です。野桑から第一の分岐までの近畿自然歩道は、スギの植林帯を抜ける薄暗く湿気が多いルートで、決して気持ち良く歩ける登山道とは言えませんが、第一の分岐から稜線に出て、これを北方向に辿る区間は、自然林に囲まれて東側の展望もあり、十分に山行を楽しむことができます。秋の紅葉の時季がお薦めです。嘉吉の乱での赤松満祐、義雅らと山名持豊の山城をめぐる攻防戦などについて調べておくと、山行が一層、趣のあるものになると思います。




                            Top Page     


    






  
  







































inserted by FC2 system