大学の秋入学、成算なしに暴走する「東大エゴ」
2012.3.31
■ 最終報告書の欺瞞 「よりグローバルに、よりタフに」という流行の片仮名の修飾語が副題として添えられたこの最終報告書(
http://www.u-tokyo.ac.jp/gen02/pdf/20120329report.pdf
)は、「秋季入学への移行をはじめとする教育システムの見直しによって、学生・教員の国際流動性の向上と学生構成の多様化が顕現し、・・・日本人が多数を占める同質性の高い学生集団や生活環境の中では容易に得がたい体験によって・・『市民的エリート』、『タフな東大生』、さらには・・・『グローバル人材』、『グローバルリーダ』となるべき人間の育成が可能になる」と謳いあげる。学部在籍者に占める留学生の割合が、米国のハーバード大学、スタンフォード大学、エール大学や、ドイツのミュンヘン大学などでは軒並み10%を超えているのに対して東大では、1.9%に留まっている。春入学を廃止し、秋入学へ全面的に移行すれば、キャンパス内の留学生が増え、その留学生との交流によって、例えば「国際的な広い視野、開拓者精神、創造力、しなやかで強靭な態度・意思をもって課題解決にあたる判断力・交渉力・行動力」などの資質や能力を持った学生の養成が可能になると東大は言うのだ。 ところが不思議なことに、この報告書には、秋入学によって本当に学部の留学生が増えるのか・・という疑問に対する明確な回答が無いのである。秋入学制度を既に実施済みの大学院では「実績が示すとおり、その拡大に向けた効果が期待される・・」としているが、学部については「日本語学習などの準備の必要性、・・・卒業後の進路をめぐる不確実性などから・・大学院の場合と同じように考えることはできない」と述べているだけだ。肝心の「留学生数が何故、少ないのか」という根本原因に対する詳細な分析が欠落しているために、秋入学の成算についての吟味ができないのである。1/27付のコラムで書いたように、私は海外からの留学生が少ない最大の理由は、日本語の特異性とその習得にあたっての難しさにあると確信している。秋入学に移行しても東大が期待するほど留学生は増えないだろう。
にもかかわらず、浜田学長は前出のコメントで「障害の存在を安易に弁解理由とすることなく、すみやかに行動に移していくことである」とまで言い切って、5年後をめどに秋入学の実現を目指すという。自らの任期中に何としてでもやってしまうつもりのようだ。この浜田学長の形振り構わぬ姿に、消費増税による社会保障の将来像を一切語らずに、「社会保障と税の一体改革」だと嘯いて、総理在任中に増税への道筋をつけて、政治史に自分の名前を刻みたいと躍起になっている「どじょう君」が重なって見えるのは私だけではないでしょう。この暴走をメディアが全く批判しないところもよく似ています。 29日の関西テレビの「アンカー」というニュースショー番組で「器が大きい人とは?」というテーマでの特集がありました。灘高校で小説「銀の匙」を3年かけて読み込むスローリーディングで奇跡の授業を行ったという今年100歳になる「伝説の国語教師」橋本武先生が登場して、器が大きい人とは「相手の身になって考えることのできる人」と語っていました。至言ですね。橋本先生の教え子には作家の遠藤周作氏を始めに有名人が名を連ねているようです。この浜田純一学長もその一人だと聞いていますが、残念ながら、この至言は、若き日のご当人の胸には届かなかったようですね。東大が強引に秋入学を推し進めさえすれば、政府も産業界も他大学も自ずとこれに従うと考える傲慢さもさることながら、「学長」と呼称すべき職位をわざわざ「総長」と言い換えて天狗になり、卒業生を「市民エリート」と自称させる驕慢ぶりには、嫌悪感さえ覚えます。秋入学構想などに夢中になる前に、会社の同僚から「あいつは東大のはずだけどなァ・・」と、ため息混じりに言われない立派な卒業生を世に送りだしてもらいたいものですね。 関連記事 : 「秋入学」は大学のエゴだ(2012.1.27) トップページに戻る |